シルタス!

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批判への応戦「やってから言え」は極めて感情的なもの

池田信夫氏と町山智浩氏の批判に堀潤氏「人を評する時にはせめて直接会ってからにして下さい。」  リンク:Togetter(http://ow.ly/kO6Dm) こういうのって本当に難しい問題。 今回はあろうことかTwitterでのジャーナリスト批評ですっかりお馴染み、池田信夫氏と町山智浩氏が共演するという事態。 批判に対する対抗策として「やってから言え」ってものがあります。この言葉は一見すると正当なものだし、一理あると思うんですよ。外野からは見えず、「中の人」にしかわからない事情もありますから。でも逆に言うと「中の人」はそういった事情やしがらみに縛られてるわけで、とっても主観的な状態にいるわけです。そこで役に立つのが、外野にいる人達からの客観的な意見。ヲラの経験から言っても、あるプロジェクトに関わってる時に全然関係ない人に相談して、「それって○○すればいいんじゃないの?」とか言われて目から鱗だった経験が多くあります。客観的なつもりでも、そうはなれないのが人間ってもんですね。 堀潤元アナウンサーはNHKを退職して報道のあり方を問うべく、個人でいろんな活動をしているのですが、見た目とは裏腹にとても熱い人だという印象です。 「批判は直接会ってからしてください。」 個人的な心情としてはすごい理解出来ます。自分の大義のために流した汗水を否定されたら誰しも反論したくなるものです。しかしこれって「やってから言え」と同じだと思うんですよね。 やってから言えだったら、ごく一部の人しか政治について議論できないし、成功者や経営者を取り上げて批評することも出来ないし、原発についてだって「福島に住んでから言え!」みたいなことになるわけです。「評論家」という職種も絶滅しますので、映画評論家の町山智浩氏も失業してしまいます。 「中の人」と外野が融合することはないし、仮に融合してしまったとすればその人は外野ではなくもはや「中の人」となって、客観的な視点は失われます。そうすると主観的な視点ばかりになって、どんどん深みにはまっていくんですよね。それがイイ方向ならOKですが、「ん?」って方向に突き進んでしまえばもはや目も当てられない。 堀潤元アナウンサーの心情は分かる。 でもせっかく意義のある活動をしてるのに、感情的に批判に応戦してしまうと、どんどん孤立していく気がする。だからヲサンやヲチャーたちのネット上の批判は静観して、対談した時にでもカウンターパンチを見舞うぐらいの心意気でいていただきたいです。 腹立つだろうけどなぁ。。 ★★ポチッと頼んます(´ε` )★★ 人気ブログランキングへ