「論破する」よりも大切な聞く側の寛容さ
社会に反抗することを「カッコイイ」とすることについて
リンク:novtan別館(http://ow.ly/kIoij)
どうやら「とくダネ!」にコメンテーターとして出演した、社会学者・古市憲寿氏の過激な発言がネット上で話題になってるようで、見に逝ってみました。
学校荒らし事件報道 「格好いい」発言の古市憲寿氏、以前は「格好悪い」発言で話題に
リンク:livedoor ニュース(http://ow.ly/kIomk)
古市発言への批判に見る、「積極的に嘘を付け」と語る「道徳的」な人たち
リンク:ihayato.書店(http://ow.ly/kIon7)
こういうTVでの発言がネット上で必要以上に大きくなって、煽られてしまうってのはここ数年の傾向なわけですが、個人的にはどうでもいい場合が多いですね。
で、見ていてあまり気持ちよくないこととしては、「自分の正義」を人に押し付ける人が多いってことです。読んでてね
「◯◯であるべきだ!」
「◯◯学者とは…!」
「影響力のあるTVでは…」
「我々一般人は…」
ってよく出てくるんですよ。バカのひとつ覚えみたいに。読んでて「てめぇの正義なんて知らねえよ」ってついついつぶやいちゃうんですよね。でもそこで熱くなってる人は、自分が正義で自分以外は悪ってぐらい熱くなってるから、どうにもこうにも収まりがつかない。
いいんですよ。自分の考えを声高に主張するのは。素晴らしいことです。
でもそれがいつしか相手を「論破する」事に主眼をおいてないかって事なんです。最初は主張だったのに、そのうち「著名人を言い負かす」事が目的になってるって言うかね。見てて気持ちが悪くなるのはそこ。もうそうなると当初の主張なんかそっちのけで、直接的には関係のない「常識」なるものを羅列するわけ。ひどい奴になると有名人の格言なんかを持ちだしてね。面倒くせぇ。
主張して議論するのはヲラも大好きだし、日本社会にはもっとその姿勢があってもイイと思ってるぐらい。でも基本的にはまずは相手の主張を「受け入れる」寛容さが必要だよ。自分の意見と相手の意見を客観的に見れなかったら有意義な議論はできないしね。感情的な議論になると、議論はずっっと平行線で余計火に油注ぐような事態になってもっと面倒なんだよ。
イケダハヤト氏やTVのコメンテーターを何かと目の敵にしてる方々。
一回落ち着こう。
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