非合理を好む日本人から見た「異端」「常識破り」
「丸亀製麺」の合理性が“常識破り”と捉えられる不可解
リンク:NSIGHT NOW!(http://ow.ly/kInCy)
現代では多くの会社で、「根拠は?」「裏付けを出せ」なんて言われるようになってると思うんです。昔は「エイヤー」の体当たりでやってたような事業も、経済情勢が悪くなるとみんなより確実な道を探すようになる。するとはやり、「成功する確率」と「失敗する確率」を吟味してGoをだすような承認プロセスを取り入れるようになる。そんな事を一括りにして「合理性」って呼ばれるようになるんですな。
この前書いた「成果主義」ってのもそう。
仕事の成果にかかわらず年齢によって給料を変えるよりも、だした成果によって給料を変えたほうが企業としては合理性がある。だって働かない人には少ない給料しか払わなくていいし、働く人にはそれなりにあげればいい。成果をあげられる人はもっと頑張るし、頑張らない人は淘汰される。これはかなり合理的な仕組み。
でも日本社会が合理的なことが好きかって言うと、そんな事はないとヲラは思う。
やっぱり「頑張った」「苦労した」「時間をかけた」「継続した」「汗をかいた」こんな非合理性の中に日本人の美徳はあると思うんです。これは現代社会に合ってるかどうかよりも、日本人がそれを「好き」な傾向になるってことです。
成果主義を採用したところで、やっぱり「頑張ったところを評価して欲しい」というプロセス評価がでてくるもんだし、数字だけで評価してるように見えて実は上司の懐にどれだけ入り込めるかっていう部分で数字を調整したりする。これも全部、非合理性の部分です。
やっぱり数字を基本とする「合理的な社会」を目指しつつも、多くの人は「非合理性」を愛するという現実があって、それが各所でアレルギーになってると思うんだよな。ウォール街に金融マンでもない限り、そんなガッチガチの合理性には慣れてないもんだし、実際に自分が上司になったら結果を出せなくても頑張った部下を評価してあげたいと思うのは普通だと思う。
だから↑の記事になるような合理的な経営手法はどうしても「常識破り」とか「異端」として紹介されるものだし、最近話題のユニクロの柳井正会長なんかは「冷酷」「残酷」に見えるんだと思う。実際ヲラも少しそう思うしね。
でもね。
これからは個人が進んでその合理性と向き合う必要が出てくると思うんだよ。
だって企業という組織体が頼りにならない今、個人がどう生きてくかっていうのはかなり重要な問題だし、その中で闇雲に色んなことやってたらご飯を食べれないわけで。自分の技能やビジョンと照らしあわせて取捨選択していくことが必要だと思うだよ。つまり今まで企業がそうしてきたような事を、個人がやっていくってこと。
「頑張った」「苦労した」「時間をかけた」「継続した」「汗をかいた」
非合理な部分を語り合ったりするのは盛り上がるんだけど、実際には居酒屋で後輩に語るネタぐらいしか生まないもんなんだよな。
そして、そんな話って大概ウザいもんですよ・・・ はい。
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