シルタス!

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自分が正解? 社会が間違い?

仲間や友人は大切な存在です。 仲間といると、孤独じゃないし、自分の立ち位置を確認できる。 そして楽しい。 だからこそ、頻繁に会ったり連絡を取る。 そんな存在には、感謝をせずにはいられません。 ですが、一つ気をつけたい事があります。 それは、「その世界が全てだと勘違いしない」事です。 文章にすると物凄い当たり前のことですが、これは非常に難しい事だと感じています。。 <例えば会社> 仲良しグループがあって、頻繁に飲みに行き、そこでは会社への不満や、上司の悪口などを話します。 でもそれって、よくよく聞いてると、今の自分が満足できる結果を出せてない事、評価されていない事を「上司のせい」、「会社のせい」、言い換えると「自分たち以外の誰か」のせいにしてるだけです。 シビアなセリフを言えば、「黙らすぐらいの結果を出せば?」「嫌なら辞めちゃえば?」。 もっとシンプルに言えば、「そんなに嫌なら本人に言えば?」です。 でも、行動しない。 そして、「行動しない理由」を、「行動“出来ない”理由」にすりかえて、居酒屋で議論しあう。 これって非常に危険な事で、「自分たちが正解」で、「世の中が間違い」と言ってるのと同じです。 物事に正解は無いにしろ、この考え方自体が“間違い”なのは明白。 自分たちが正解であれば、なぜ成功していないのでしょうね(汗) でも、仲間と傷をなめあっていると、それすら気づけなくなるんですよね。。。  「あいつは、○○さんみたいな上司を持ったから実力を発揮できない…」  「あいつは、あんなポジションでなければ…」  「あいつはかわいそうだよ…」 いつしか仲間からそう評されるようになると、本人も安心します。 それはそれで、立ち位置が明確で、評価されており、自分の自尊心は保たれるからです。 <例えばTwitterTwitterの速報性や、双方向性は素晴らしい。 有識者や著名人の意見に、直に触れることができるのも魅力です。 しかし、タイムラインだけを眺めていると、どんどん陽動されていきます。  「検察は悪」  「記者クラブは悪」  「Twitterは震災時に大いに活躍した」  「メディアのあるべき姿は…」 自分で裏を取った上での意見であれば全然良いです。 しかし、この文字に単純に陽動された意見を見ていると、あたかもそれが「日本国民の意見」のように思ってしまいます。 しかし、実際のTwitterユーザーは1,200万人ほどで、人口の10%ほどなんですよね。 しかも、アクティブユーザーにしたらもっと減ると思います。 では、どのようにして自分を客観視するか。 その方法は三つあります。  <1> 意見してくれる人を近くに置く  <2> 考え方が真逆の人と付き合う  <3> 真逆の意見を勉強する 要するに、自分とは違う考え方を学ぶことです。 よくよく考えれば、真逆の意見を学ばなければ、自分の意見の正当性や妥当性なんか分かるはずは無いのですが…(汗) その人の考え方が、自分と違うかどうかを見分ける、簡単な手段があります。 それは… 一緒にいて「違和感を感じるかどうか」です。 居心地がよければ、その人は自分に近い人だと思ってよいでしょう。 会社では、自分も周囲も慣れているので、人のせいにしていても何も言われず、気づけないことも多い。 でも、一歩社会に出てみると、見る人が見れば分かります。 人のせいにしてる時点で、低い評価を下されるのです。 私は営業で、社会に接する機会が比較的多いのでありがたいですが、それでも、意識して、意識して、意識して丁度良いと思ってます。 自分がニュートラルな位置にいるかは、常に確認したいですね。