外野から「正論」を言う事、渦中から「自分の意見」を言う事
最近よく思うこと。
単刀直入だが、「外野から「正論」を言う事」は誰でもできるが、
「渦中から「自分の意見」を言う事」が出来るのは少数派だという事。
<前者>
特に特別な勉強をしなくとも、大人になるにつれて一般教養と常識は身につく。
そこで身についた物差しで物事を判断する。
これは誰にでもできること。
<後者>
まず当事者になることが必要で、「正しいかどうか」ではなく、「私はこう思う」という姿勢。
専門的な知識も要し、現実を踏まえ、正確に物事を判断し決断する。
これが出来るのは少数派。
例えば、「寝る前に歯磨きをするべきか?」というテーマがあったとする。
大抵の人は「するべき」と答える。
さらに、「理由は?」と聞かれれば、「虫歯になるから」と答えるのではないだろうか。
そこで、「寝る前に歯を磨かなかったら、なんで虫歯になるの?」と切り込んで質問された時は、どうだろうか。
「唾液には細菌の増殖を抑え、歯を守る作用があるのだが、寝ている間は唾液の出る量がガクッと減る。そのため、寝ている間に細菌は増殖し、虫歯や歯周病が進行してしまう恐れがある。」
「だからこそ、寝る前に歯を一度綺麗にしておく事が重要だ!!」
そう答えられる人は少数派だと思う。
私も含めて会社で働く中で聞いた事があるであろう、そんな「正論」の一部を書いてみる。
そして震災以降、議論されている原発についても。
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<1> 幹部
「やはり新規顧客を拡大していく事が大事だ…」
「既存顧客とのパイプを太くしていく事が必要だ…」
「開発部門とはこうあるべきだ…」
これは全て正論だ。
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<2> 社員
「会社組織とはこうあるべきだ…」
「上司とは本来…」
「こんな方針は時代に合っていない…」
これも全て正論。
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<3> 原発
「こんな事件を起こして東電は何やってるんだ…」
「だから原発なんて要らないんだ…」
「原発さえ無ければ…現地の人がかわいそうだ…」
これも全て正論。
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お分かり頂けると思うが、主体性と問題意識を持っている<後者>にあたる方からすれば、「で??」と思ってしまう内容である。
冷たいようではあるが、私自身、最近はこのようなセリフを聞くと、
「じゃあ、あなたがやれば?」
「~さんが上司にいるということは、単純にあなたより評価されてるって事だよ。」
「あなたの理想の上司や組織って、あなたに都合の良いものじゃないの?」
と思ってしまったり、言ってしまったりする。
だが、こういった正論は意外と世の中に蔓延しているように思う。
悲しいかな、、、「正論」は聞こえがいい。
言っている本人も気持ちが良いだろう。
問題点の指摘、改善、リーダー、指導者、革命児、デキる人
色んな自分に酔えるだろう。組織の中でも多数派にウケる。
反対に、「自分の意見」は総じて退屈なものになりがち。
的確に問題点と解決策を指摘するのは、「現実的」であるからだ。
しかし、前に進むために必要なのは、そんな「現実的な議論」と「自分の意見」。
「じゃあどうする?」「どうしていく?」の段階だ。
先ほどのセリフを置き換えてみる。
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<1> 幹部
「どうすれば新規顧客を獲得できるのか?」
「どうすれば既存顧客とのパイプをもっと太くできるのか?」
「開発部門をどうブラッシュアップしていくのか?」
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<2> 社員
「どんな会社組織にしていく事が必要なのか? 何をするのか?」
「上司がどんな体制でいればよりスムーズなのか?」
「どんな方針で動けば利益に繋がるのか?」
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<3> 原発
「東電はこれからどうしていくべきなのだろうか?」
「原発に変わる代替エネルギー源はあるのだろうか?」
「現地の方の今後のフォローは? エネルギー供給源はどうするのか?」
これが本当の議論で、前に進むためには必要なことだ。
【これを機会に自分に問う】
形だけの会議をしていないだろうか?
形だけの反対意見を吐いて、いい気になっていないだろうか?
居酒屋で正論を吐いて、革命児を気取ってないだろうか?
安易に同意していないだろうか?
上司に求めている事を、自分は出来ているだろうか?
部下に求めている事を、自分は出来ているだろうか?
何でも政治のせいにしていないだろうか?
自分のあり方を、会社組織のせいにしていないだろうか?
人にも誇れるような生き方をしたいと、震災以降は強く思う。
その為には、常に自分の意見を持って、行動出来るようにしたいと思う。