桜宮高校男子生徒自殺の報道を複雑な気持ちで見ている。
大阪市立桜宮高校男子生徒自殺 市教委「心より深くおわび」
リンク:FNNニュース(http://ow.ly/gIgSg)
ここ数日の桜宮高校男子生徒自殺の報道を複雑な気持ちで見てる。
まずはお亡くなりになった男子生徒の方、ご遺族の方の心中は察するに余りある。改めて合掌。
この男子生徒とおれサマには共通点がある事と、おれも32歳になった今この報道にどんな捉え方をすればいいのか、それについて書いてみる。
【俺らの時代は…という論調】
こういった話題になると必ず「そんな事で自殺するのか」「俺らの時代は…」という論調もちらほら見かけるのだが、彼らが生きてるのは「今」の時代であり、僕らの学生時代は「過去」の時代だ。時代背景や、教育の考え方、親の世代、子供たちの資質、色んな部分で条件が違うので、「過去」の話をそのまま「今」の物差しに当てはめるのは大きな問題だ。
おれサマ自身、年上の方々とお付き合いすることが多いせいか、昔からこういった「俺らの時代は…」と言うお話は暗記できるぐらい聞いてきた。しかしそれも不思議な話で、誰から聞いてもだいたい同じようなことを言うもんだ。
なぜ自分の命を絶たなければならなかったのかは想像もできないし、本人しか分からない苦悩があったのだと思う。
【おれサマ自身も同じような道をたどってきたから…】
かく言うおれサマ自身も実は、学生時代は6年間バスケットボールをしていたし、キャプテンではなかったが副キャプテンだった。
お亡くなりになった男子生徒に自分を映してしまうのは、おれ自身も後に先生が認めるほど「怒られ役」だったんだよな。チームで一番罵倒されたし、チームで一番殴られた。他の子たちはOKな事がおれサマにはNG、それは「逆ひいき」のような状態で、ある時期には先生に対して怒りよりも恨みのような気持を抱いた事もあった。それぐらいやられた。だからこそ、この男子生徒には自分を重ねてしまうんだ。
【最後の部分でコミュニケーションが取れていたのか】
じゃあおれサマの学生時代の思い出は最悪なものだったのか。それは「NO」である。
ありがたかったのは、先生が最後の部分では熱心にコミュニケーションを取ってくれたからだ。欲を言えば、現役の時代にもっと密にそうしてほしかったのだが、それでも引退してから呼び出されたりして、現役当時のおれサマへの罵倒の意図を熱心に話してくれた。「中心選手であるお前を怒られ役にすることでチームを引き締めたかった。すまなかったな」と。人間、そのたった一言で救われるものである。事実として、おれサマと先生の関係は今も続いているし、それはお互いに何のわだかまりも無い何よりの証拠だ。
お亡くなりになった男子生徒と先生の関係、信頼関係がどんな状態だったかは分からない。でも上記のような自分の経験からも、この報道をどんな気持ちで見ればいいのかが分からない…