眠れない夜の答え
結構ショッキングなことがあって、昨日は数年ぶりに早朝まで眠れなかった。
台所に横になってずっと天井を見つめて今の現状について考えていた。そこで考えたからって答えが出るような事ではないんだけど、ショックが大きすぎてそれをそのまま放置して眠ることは自分の心境が許さなかった。
俺ぐらいのクズになると、悩みだしたら人と話さなくなるし、人への八つ当たりも当たり前だ。孤独に夜通し考えてたりすると、夜中の3時ぐらいには無意識に包丁を手に取ったりしてかなりイタイ奴になってる事もある。だから悩むと人に迷惑をかけるから出来るだけ悩みを抱えたくはないんだけど、俺の人生的になのか特性的になのか悩まずにいられない。
そもそも俺は「考えない」ってことができない。「考えるな」「考え過ぎだよ」と言われると、「考えないってどういうことだろう」「考え過ぎってなに?」って考えてしまう、そんなメンドクサイ人間だ。
人から必要とされるってことは、人間にとってとても大事なことだと思う。
キャリアポルノ(自己啓発)の世界では「孤独が大事だ」って言われてるけども、それはどこかの時点で人から必要とされる(であろう)目標を持ってるからこそ、ある時期は孤独に自分を追い込むぐらい頑張った方が成功しやすいよってことであって、ずっとずっと孤独なままでは人は生きられない。ただただ自分の満足のためだけに生きるマスターベーションな人生であれば、目標を達成したとしてもそれを人と分かち合うことが出来ないし、もの凄い大金を得たとしてもそれを一緒に使える人がいない。自分が取り組んできた事の成果でさえも、それが自分のためだけであったとすれば、喜びは少ない。結局人は人に必要とされ、それによって目標を持って頑張り、成果を上げて、喜びを得るんだ。
そのショッキングな出来事とは、「俺は誰に必要とされてるのか」を見失うものだった。
「必要だ」と言われた人から「もういらない」と言われ、俺はひどくショックを受けたのだ。「必要だ」と言われていたからこそ耐えられた孤独や、シビアな状況が全て虚しいものに感じられて自暴自棄になった。(かと言ってどっかで飲み倒して女を抱いてくるような破天荒さや勇気は無い…)仕事でもそうだと思う。上司に期待されて「佐藤くん、このプロジェクトは君に1番期待してるよ!」と言われて大いに意気込んでたのに、後日人伝いに「◯◯部長は本当は田中くんに1番期待してるんだって」って聞いたらどう思うだろう。打ちのめされるのではないだろうか。
モチベーションは人に上げてもらうものではない。
よく悩みを相談されて「会社が自分がやりたいことをやれる土壌を作ってくれない」とか「上司がモチベーションを上げてくれない」って言ってくる人がいるが、遠慮なくツバを吐いてやる。(しない。)きっかけとして誰かがモチベーションを上げてくれる時はあるが、最初から他人や組織に自分のモチベーションをコントロールしてもらおうとするのは間違ってる。他人や組織はその人のために存在するのではないから。てめえのことなんか誰も気にしてねえよ、この自意識過剰ヤロウがって話だ。ただ、自分のモチベーションを「維持」するためには他人や組織の評価は利用できる。他人や組織の評価に全てを委ねるのはリスク以外の何物でもないが、やはり誰かに期待されたり評価してもらうのは素直に嬉しいからだ。
俺が「お前が必要だ」と言われていたのに「もういらない」と言われるのは2つ理由がある。
1つ目は俺がその期待に応えられなかったから、2つ目は状況が変わったからだ。そして今の状況はこの2つとも関係してるように思う。ただしその比率がどれぐらいのものかっってのが問題だ。1つ目の自分の問題は自分の責任だが、2つ目の状況の問題が自分の責任ではないからだ。この2つともを自分の責任だと背負ってしまうのは問題がある。状況はその時々の流れは自分自身でコントロール出来ない場合がほとんどだから、そこまで背負ってしまってもしょうがない。
書いてるうちに何が言いたいのか分からなくなってきた。。
でも眠れない夜を過ごし、この土日を過ごしてたどり着いた答えは「そんなもん笑い飛ばせ」だ。
なんだそれって思われるかもしれないが、結局のところ人から得る期待も、人からされる失望も人が勝手にするものであって、本来俺には何の関係もないハズだ。しかし相手との関係性や恩、貸し借りによってそれも含めて自分の責任かのように混同してしまうが、本来は関係ないのだ。
テメエの期待も失望も知らねぇよ。
俺の人生に勝手な期待や、勝手なプレッシャーをかけんじゃねえって言いたい。
八つ当たりした皆さん、本当にゴメンナサイ。