シルタス!

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本当の自分をだして生きるという事

これは私が大好きなNBAの選手である。 彼の名前は、Jason Williams(ジェイソン・ウィリアムス) トリッキーで変幻自在なプレー、黒人選手が多いNBAの中で、白人で異彩を放つ。 そして「ワル」の雰囲気も漂っている。 私はそんな彼が大好きだ。 しかし、彼は非常に人気のある選手だったが、競技者としては「成功」したとは言えないかもしれない。 トリッキーで人気のある反面、そのトリッキーさがあだになり、ポイントガードというゲームを作るポジションとしてはミスが多いと批判された。 観客を意識するがあまり、「チームを勝たせる」プレーがなかなか出来なかった。 3つ目に移籍したチームでは優勝しているが、メインのメンバーではなくサブだった。 (貢献はしたが…) だが、これは「社会的な評価」においての話だ。 それでも私が彼を好きで好きでたまらないのはなぜか。 そんな事をずっと考えていた。 結論としては、「ありのままの自分を表現している」 からだった。 言い換えると、「俺はこういうプレーヤーだ」という事を、惜しげもなく披露し、そこには、周囲の評価を気にする余地は無い。 ただただ自分のプレーを貫く。 ある側面からすると、ただの「自己中プレーヤー」かもしれない。 しかし、プロとしては観客を喜ばすという仕事もあるはずだ。 その面において、彼はかなりリーグに貢献している。 「ありのままの自分を表現している」 言葉にするとシンプルだ。「当たり前」だと思うだろう。 しかし、私が考えるに、多くの人ができていないことだと思う。 社会人になるにつれ、「常識」「ルール」「人間関係」「評価」に縛られてくる。 この中の何かは常に意識する必要がでてくるのだ。 自分が 「やりたい事」 は制限され、「やるべき事」「やらざる得ない事」のウェイトが増えてくる。 ケースによっては自分を演じる必要もあるだろう。 そんな中で生活していると、いつしか「本当に自分」が分からなくなる。 要するに、「演じている自分」と「本当の自分」の区別が付かなくなる。 「演じている自分」が通常になってしまえば、無意識のうちに常に人の評価を気にしながら生きることになる。 自分と向き合って紐解いていくと、無理をしている自分に気付く人も多いはずである。 私がJason williamsを好きなのは、自分を貫いているからだ。 もう10年来のファンだが、プレーの楽しさは表面的な事で、「なぜ好きなのか」の本質には昨日気付いた。 彼が好きで憧れている私は、言い換えると「自分を演じている」場面が多いのだと思う。 優等生で平均値の成果は残せるかもしれない。 人からも「嫌われない」だろう。 しかし、著しい結果や、「記憶に残る人材」にはなれそうにない。 しっかりと自分と向き合い、紐解いて、本当の自分を出せるように生きていこうと強く思う。 そして、そうする事が自分の幸せの最短距離であると確信しているのだ。