「死」と向き合う事で、攻めのエネルギーが生まれる
今日は面白い考え方に出会った。
最近注目している人の意外な共通点だ。
その4名の名前を挙げる。
<孫正義>
リンク:Wikipedia(http://goo.gl/kImV)
<スティーブ・ジョブズ>
リンク:Wikipedia(http://goo.gl/a2sPa)
<松田公太>
リンク:Wikipedia(http://goo.gl/V6qbi)
<堀江貴文>
リンク:Wikipedia(http://goo.gl/JHBk)
この4名に共通しているのはなんだろうか。
それは、、、意外なワード。
「死」
なぜ?と思うかもしれない。
孫さんは起業して間もなく、余命宣告される「死」と直面している。
スティーブ・ジョブズさんは、一度は癌による余命宣告をされ、今も休業をして療養に当てている。
松田公太さんは、早くに弟さんを亡くしている。
堀江貴文さんは、昔から「死」に関して異常なほど興味があり、いつでも身近に意識している。
そして彼らは「死」を意識するが故に、今を真剣に生きている。
それぞれの著書を読む限り、常人が想像もできないほどのスピードとエネルギーで生きている。
リミッターが常人のはるか先にあるのだ。
これは非常に興味深いことである。
よく「守りに入る」と言われる。
これは、家族をもったり、持ち家を持ったりして、「守るもの」が出来ると、挑戦できなくなるというものだ。
私も家族をもっている身であり、少なからずその意識は理解している。
でも、成功している人ほど、どんな状況でも攻めている。
その違いはなんなんだろう?といつも考えてきたが、その答えの一つに出会ったのかもしれない。
「死」とは、言い換えると人生の「期限」。
よっぽどの事がない限り、普通の人は自分が死ぬことなどは想像しない。
「いつかは死ぬ」と分かっていても、人ごとに感じる。
でも、人生、そして時間は有限。
「捨て身」である事は、「死」の意味を知ってる事なのだろう。
戦場の兵士でも、死を恐れずに最前線で前へ前へと出てくる人ほど恐い人はいないという。
実は、昨年から今年にかけて、身内の不幸が三件も続いた。
非常に悲しい事であり、遺体を目にすると、あまりのあっけなさに呆然としてしまった。
「これが本当に自分をしかってくれた祖父なのか?」
「あれだけお世話になった叔父が…」
「夏休みに会うのを楽しみにしていた祖母が…」
私は、「死」を意識せざるを得なくなった。
成功者も恐らく意識しているであろう「死」。
それについての理解を深め、後悔のない人生を生きられるようにしたい。
守りに入らずに、攻めていきたい。
これは、亡くなった身内からのメッセージだと思う。
この気付きは絶対に大事にしたい。