とっても面倒な「苦労」の美化について
『「死ぬほど働いた」ことを美化するな』についての補足
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おれサマは昔から年上の人と付き合う事が多かったので、「苦労」についてはすごく考えさせられてきた。「苦労」についてと言うか、それとの向き合い方と言うかね。
まず分かってるようで分かってない事だけど、「苦労」とかって人と比較できないし、明確に数値で示せるものでは無い。つまり極々個人の主観的なものであるってこと。しかし、この「苦労」を人にアピールしてそれを認めてもらおうとする人は意外に多いんだよな。
<現在進行形のカタチ>
残業が多い。
休日出勤が多い。
上司が馬鹿だ。
部下が馬鹿だ。
組織の方向性が分からない。
社長の言う事がコロコロ変わる。
取引先ともめてる。
<過去形のカタチ>
死ぬほど働いてきた。
20代は徹夜ばっかりだった。
~の件では死ぬような思いだった。
俺たちの頃はもっとどつかれてた。
新人の頃にいきなり現場に出されて大恥かいた。
こんな感じが多いんかな。
それを言う事で「すごいっすねーーー」的な雰囲気になって自分のアイデンティティを保とうとする人は多いんだけどね、何回も飯食いに行ってたら同じ話ばっかりになってきたりするんだよな。
でもやっぱり苦労って人によって感覚も違うし、それを苦労と感じるかどうかも違うから、「自分はこんな道を歩いてきた」って雰囲気で単なる事実として人に話すのは全然いいんだけど、「だからお前も…」のような押し付けが入ってくると途端にしんどくなるよ。ましてや、そのご自慢の「苦労」を通った末が「お前かい!」みたいな存在だと、聞くに耐えないわけで…
俺だって月に一度しか休みがなかった(しかも知人の結婚式でやむなく…)時もあるし、残業を月に200時間してた時代もあるし、年長者の集団によってたかってイジメられた時もあるわけですよ。それは間違いなく自分の糧になってるし、世間が残業50時間ほどで「過労」だの何だのって言ってると「ほげ??」って思って何ら同調できないから、無駄な時間を割かなくたっていいし、イジメに対する免疫だってある。
でもね、おれサマはそれを「苦労」だとは一切思って無いわけで、単なるそういう時期だったってだけなんだよな。その時々では間違い無く楽しんでやってたし。
だから人に「お前もそれぐらい働け」「イジメられる経験もいいよ」とは思わないわけで、もし好きでそんなに働きたいならそういう経験のいいんじゃない?と思うわけです。
人より頑張らないと頭ひとつ抜けられないのは一つの真理だけどさ。
それを好き好んでやるか、やらされるかによって自分の人生の充実度は変わってくるよ。
苦労なんかしない方がいいけど、好き好んでやるならすればいいって話。
そしてそれを人には押し付けない。
むつかしいけどな!
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