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今日の脳カツ 10.目標よりも野望を持ちたい

「目標を持つ」ことの重要性は、子供の頃から多くの人の中に刷り込まれている共通概念だと思う。しかし、この「目標」についてはその定義や設定にも個人差があることを不思議に思っていたので、それについて書いてみる。 「目標を持つ」ことの重要性は、子供の頃から多くの人の中に刷り込まれている共通概念だと思う。しかし、この「目標」についてはその定義や設定にも個人差があることを不思議に思っていたので、それについて書いてみる。 学生生活、部活、社会人、多くのシーンで「目標を持て」と言われた人は多いのではないだろうか。そして、しっかりと目標を持って行動している人は「デキル人」「ストイック」などと形容されやすい。でも、よくよく分解していくと、その目標の設定の仕方は人それぞれ。 ①小さな目標をたくさん達成する このタイプは、小さなハードルを数多く達成することで自分のモチベーションを維持したり、前進している実感を得ようとする。いわゆる「コツコツ」タイプで、最終地点まで行くには長い時間と多くの手数が必要になる。 ②大きな目標から逆算する このタイプは一見達成不可能な目標を設定して、そこから逆算することで、現状の思考と行動の枠から脱皮する。上手くいけば短期間で大きな飛躍をする可能性があり、失敗すれば自分や周囲を失望させる危険性もある。 どちらが良い、悪いではなく、自分がどこに向かいたくて、それに対して自分にはどちらが合ってるかの違い。状況によっては①②を組み合わせて設定する場合もあるだろう。でもこの「目標」という言葉は、どことなく「固く」、何となく「想定内の所」に向かおうとするイメージが拭いきれない。 昨日ある女性と話をしていた。彼女はとんでもない「目標」を持っていた。その風貌や日頃の立ち振る舞い、キャラからはとても想像できなかったもので、僕は非常に驚いた。でも、その時に僕は「あぁ、、これだな」と直観的に感じたのだ。 彼女のとんでもない「目標」は、社会的な概念からすると無謀なもの。しかし話を聞くと、彼女なりに深く考えて最も合理的な場所を選んだことが分かった。こういった場合に、それを「目標」と形容するのは何か違う気がして、パッと思いついた言葉が「野望」だった。 野望と言うと、子供の時に夢見る「世界征服!」のようなものだ。それは決して根拠などなく、夢と野心と願望が合体したようなもの。何にでも根拠を求める風潮の中で、野望は清々しい。そして他の人と何ら変わらない日常の中で、齢を重ねながらも野望が持てるのは、それだけ自己対話をしている証拠。 昔の自分であれば、そんな野望を聞いたら半笑いしてたかもしれない。でも今はそんな事は絶対にできない。野望を持つには、それだけ多くの時間思考して、今もなお人の見えないところで行動し続けてる結果だと分かるからだ。 夢や目標ではなく、野望という言葉を用いて自分の方向性を見出してみると良い。現状の思考や、制約、条件、環境、それらを一切排して「自分はどこに向かいたいのか」を考える。日中ぼーーっと仕事をするぐらいなら、3日間休んで野望についてとことん考えてみる。その後の人生は劇的に変わると思う。