シルタス!

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【お前が嫌いだ!】「勇気」なんか無くてもどうせ嫌われる

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

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どうもシルタス!のJazzy-Tです。

金城武ってめちゃカッコイイんですね。

 

さてさて。

嫌われることについて。

 

「嫌われる」と「好かれる」って相反する現象です。

本とかで読むと、この現象は自分でコントロールできるって書いてあるし、自分の「受け取り方次第」という自己啓発も見受けられるけど、ぼくはこの現象を自分でコントロールするのは無理だと考えています。

 

だって人がどう思うかなんて絶対にコントロールできないでしょ。

田中さんの目の前でぼくがゴミを拾って「素晴らしい人だ!」ってなっても、佐藤さんの前でゴミを拾ったら「ケッ、この点数稼ぎの偽善者がぁぁぁぁぁ!」ってなるし。絶対にそうなるんです。

 

ぼくは学生時代、真面目にクラブをやってました。

(学生生活は真面目とは言えなかったけど。)

真面目って嫌われにくいと思ってましたが、それでもめちゃくちゃ嫌われて、ほぼ村八分になりそうな時期がありました。それは性格が原因かと言うと、そこは自分で言うのもナンですが、ぼくは性格的には破天荒とかではなく落ち着いた方だと思います。

 

真面目に何かをやってると「同じ物事を中途半端にやってる人たち」に嫌われます。要はサボったり手を抜いてる人たちです。そんな人たちが真面目にやってる人を見ると、「まるで俺らがサボってるみたいやんけ!」となったり、「何やねんアイツ、カッコつけやがって!」となります。

 

だから逆に言えば真面目にやってる人から見ると、手を抜いたり中途半端にやってる人たちは煙たく見えてしまいます。ぼくも今振り返れば、そんな中途半端にやってる人達を見る目が、無意識に冷たくなってしまい、それを彼らが感じ取ったのかもしれないと反省しています。

 

ぼくは、だいたい何をするにも「こうなりたい」という理想を持ちます。

そうして意欲的に取り組んでいくと、誰かの理想とぶつかったり、反対派の人とぶつかります。だから学生時代にかかわらず、仕事をしだしてからもいろんな会社に勤めましたが、大なり小なり必ず誰かには嫌われました。さすがに大人になってから村八分状態になった時は精神的にキツかったし、今患ってる鬱(うつ)病の原因にもなったように思います。

 

そんな状況に陥った時は、環境を思い切って変えて、新しい場所で新しい自分を築くのが一番手っ取り早いです。転職する、引っ越しをする。それは実は何の解決にもなってないと感じる人もいるでしょうが、でもそこで粘ったってしょうがないです。だって自分のことを嫌いな人達が、その後自分を好きになってくれるかどうかだってコントロールはできないんですから。

 

じゃあ、人生でうまくいかないことがあれば、すぐに環境を変えてマッサラな状態からリスタートする方が生産的です。人の目を気にしすぎて、何年も何年もビクビクしながら生きていた時期があるぼくは、今それを痛感しています。

 

嫌われたって、落ち込むことはないです。

その土地に自分が合わなかっただけで、あなたが悪かったわけではないんですから。

 

〜関連リンク〜

それでも僕がはてなブログに住み続ける理由 - まつたけのブログ http://ow.ly/t3osk

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嫌われ者の流儀

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