映画「永遠の0(ゼロ)」がモヤモヤし過ぎて泣けなかった件
どうもJazzy-Tです。
この期間に見たかった映画、本などをまとめて見てるのですが、もう涙や笑いの感受性の波にのまれています。
さてさて。
ネット界隈でも非常に評判が良かった「永遠の0(ゼロ)」を観てきました。
んーーー良かった。良かったって一言で言うのは難しいのですが・・・そういうしかありません。
映画『永遠の0』 http://ow.ly/s8AXL
永遠の0 - Wikipedia http://ow.ly/s8AYp
岡田准一さんがカッコいいのはぼくだって知ってますよ。
恐らく同い年だし、同じ大阪出身なのも知ってますよ。認めたくはないですけど。そして実際に死ぬほどカッコ良かったですよ。ファンの方は絶対に観た方がいいですよ。
まぁそれはいっか。
さて内容ですが、予想に反してぼくは泣けませんでした。
感動的な場面はいくつもありましたし、となりにいた女性もご老人も嗚咽をだすぐらい泣いていたので、相当なものだったのでしょう。
でもぼくは、色々と考えさせられることが先に来てしまって泣けなかったのです。そして見終わった後もずっとモヤモヤが晴れませんでした。
戦争の時代に「死にたくない(生きたい)」と願うこと
天皇陛下のために潔く死ぬことが素晴らしいとされていた当時は、訓練中の不慮の事故で死のうものなら「恥さらし」と罵られ、特攻隊に志願しない者は「臆病者」と罵られるような時代です。
その中で戦争に行っていた主人公は、残してきた家族のためにも「死にたくない」と願っていましたが、これは「非常識(非国民)」のような考え方です。しかもその願望を公言していたがために「腰抜け」「臆病者」「恥さらし」と皆に言われていました。
でも、これはすごく「強いひと」だからできることです。
良いか悪いかは別にして、死を選ぶことが当たり前とされていた時代の常識に反する「死にたくない」と言えるのはよっぽど強い信念がある証拠です。本気でそう思ってたからこそ恥ずかしげもなく言えたのでしょう。
現代社会で「国のために死にたい」と本気で言ったとすれば、「強いひと」だとみなされるでしょうし、その時代背景によって評価は真逆になりますが、やっぱり目的と信念を持ってる人は強いと改めて感じさせられました。
自分にとって「生きる目的」ってなに?
この主人公が家族のために「死にたくない」と願っていたのだとすれば、家族のために生きて帰ることが「生きる目的」です。
単純に今の自分にとっての「生きる目的」ってなんだろう。
仕事とかプライベートとかそんな友達だとかそんなククリではなくて、もっと大元の「生きる目的」のことです。
何のために毎朝目を覚まして、何を成し遂げようと生きているのか。
この疑問はちょっと小難しいようにも思えます。
でもただなんとなく朝目覚めて、ブログ書いて、仕事に行って、微妙に疲れて帰ってきて、ブログ書いて。夜の時間を過ごして、また寝ていく。
正直、そんな感じなんですよ。ぼくの人生は。
じゃあなんのためにこんな生活を送っているのか?それを自分に問いただした時にすぐに答えが出なかったのです・・・ グフッ
「時代が違うよ」で片付けていいこと?
戦争をしていた当時と現代では時代が違います。
「そんなに難しく考えなくても時代が違うんだからさぁ」で済むこともあるでしょう。
でも時代が変わっても物事の本質は変わらないものです。
モノが無い時代からモノがあふれる時代になって、現代はまたモノにそこまでの価値がなくなってきた時代です。
そんな時代にあって、次に自分の感情がどこに向くかといえば「自分自身」です。モノをたくさん持って人から羨望されることがステータスだった時代から、今はなにかの目的にむかって突き進んでる人が注目される時代になってきました。
自分の「生きる目的」はなんだろう。
人からとやかく評価されてそれに一喜一憂することよりも、自分の目的に向かって突き進むためのヒントがこの映画にはあります。それだけは分かってるから、このモヤモヤはこのまま放置したくないのです。
なんだよ、コレ。