映画評…ボビー…革命の大きさと命を失うリスク
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80年代から俳優として活躍し、監督業にも積極的に挑戦してきたエミリオ・エステヴェス入魂の一作である。1968年6月5日未明、ボビーの愛称で親しまれたロバート・F・ケネディが銃弾に倒れる。その瞬間までの1日を悲劇の舞台となったホテルで展開する人間模様とニュース映像を交えて描く。幼いながらボビー暗殺の日を鮮明に記憶したエステヴェスが自ら脚本も手がけ、22人ものキャラクターを生み出し見応えある群像劇に仕上げている。誰もがハマリ役のキャストの中でも、美容師役で当時の雰囲気を最も醸し出しつつ、憂いをたたえたシャロン・ストーンと、メキシコ系コック見習いのフレディ・ロドリゲスが出色の出来。
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"既得権益層と戦う”
Twitterが普及してからは、世の中の様々な部分がオープンになり、今までは知りえなかった情報や、活動家たちの情報が得られるようになった。そこで度々キーワードとして登場するのがこの”既得権益層”という言葉だ。
基本的に誰かが得をすれば誰かは損をするようにできていて、Win-Winなんて言葉はあるが、それはあくまで自分と取引先やクライアントの間という、極めて限定されている中の事であり、広いくくりでみれば、誰かが得をする影では誰かが損をしている。
すごく興味深く思うこと。
現時点での既得権益層と戦って自分が勝ったとする。やっとこさ自分も得ができるようになったので、一度はここでハッピーエンドを迎えるのだが、実は時間が経過していくと、自分も立派な既得権益層になるのである。あれだけ自分が世の中の「害悪」として批判しながら戦ってきた既得権益層に、まさに自分が仲間入りしてしまうのだ。
何が得で何が損か。
世の中のためを思って打ち破った既得権益層。しかしそれによって分配された富によって、今度は自分が既得権益層になってしまう。自分が得をしている影では、実は多くの人が損を被ってる可能性があるということだ。
そんな背景もあって、世の中を変えるというのは一筋縄ではいかない。
TVで見る政治家さんたちの様々な対応が本当にノロマに感じるのも、各方面の実力者や既得権益層との調整があるから即断即決というわけにはいかないからだ。
そんな背景があっても世の中を変えようとする人達がいる。そういう人達が本当に歴史に名を残す人になるのだろう。その分人に恨まれたり、敵視されたり、直接的に何かをされたり、非常に辛い体験が多くあると思う。
命は失いたくないが、命の危険を感じるような状況にいる人は、それだけなにか大きな事をやっている証拠である。
革命の大きさと命を失うリスクは比例する。