シルタス!

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風邪と自然体とワタシ


久々に風邪引いた。
 
一昨日は熱。
昨日は熱は引いたけど、気だるさと内臓の気持ち悪さと吐き気で苦しんでる。俺はよっぽどの事がないとご飯を残さないけど、ほとんど食べれない。
 
こんなタイミングで上得意の偉い方の来客があってなんとか元気を装って対応したんだけど、さすがに無理があって、いつもなら色々と相槌打って会話を広げようとするんだけど、それが出来なかった。
 
でもよくよく考えたら、この体調不良の状態でそうなんであれば、本来の俺って実はこの状態なんだと思う。つまり仕事してる時は無理して「社交的」を装ってるのか。
 
体調不良で「素」になったら、口数も少ないし、恐らく笑顔も少ない。でもそんな状態でも来客は通常通りに進んでいく。相手と関係が出来てるからなのかもしれないけれど、俺の社交性なんて実は相手は何も気にしてない。
 
なのになぜいつも「社交的」であることを装ってるのか。
 
それは人によく思われたいからに他ならない。なんか文字にするとスゲェ恥ずかしいんだけど、それが事実だからしょうがない。体調不良をきっかけにして本来の姿に気づいてしまうなんてどうかと思うのだが・・・
 
仕事するときに本来の自分と違う姿を演じる人は多いんじゃなかろうか。それが鬱病の原因になってると思う。本来の自分の姿に自信がなければ、オフィシャルな場では違う自分を演じることになるんだけど、いつも本来の自分でいれば鬱病は少なくなるんじゃないかな。
 
多少の外的ストレスがあったとしても、本来の自分であれば受け止められる。でも違う自分を演じてる中で外的ストレスがあれば、そのストレスにプラスして、「本来の自分との乖離」にストレスを感じることになって、ひどい人になるとそれが「罪悪感」まで発展して思いつめる。結果的に鬱状態になる。
 
どうせ演じるなら「全くの別人」レベルまで演じることが良いのかもしれない。
であれば自分も「演じている」事の認識が強くなるから、言わばオフィシャルな場に出る時は役者になってるようなものだ」
でも本来の自分の姿を少し残してるレベルで演じてしまうと、どっちが本来なのか分からなくなって葛藤する。むむむ。
 
 
あぁ、こんな小難しいこと考えてたらまた気持ち悪くなってきた。。。