シルタス!

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38.正しさという名の押し付けについて

 
大人なると「〜するべき」って言われることが増えるんだけど、これってとても不思議な言葉。ルールや法律で決まってるのであれば理解できるんだけど、自分の経験や道徳から照らし合わせてこの言葉を発する人が多い気がする。
 
経験や道徳は人によって全てが違う。背景も違えば尺度も違うし、歩んで来た道も千差万別なはずなのに、後続の人たちに対してなぜか一つの価値観に当てはめようとする。そしてそれに従わないと生意気だと言われたり、批判される対象になってしまう。
 
これはなにげに儒教の上下関係の考え方が影響してると思ってて、上に位置する人は下の人に対して「ありがたいお話」をしなければならない。だからそこで自分の経験から導き出された「正しさ」を伝え、下の人もあまり疑いもせずにその話を聞く。
 
エレベーターとかで扉を開けてあげてるといつも不思議なんだけど、頭を下げる人が減ってる気がする。年長の人たちはこっちに見向きもせずに降りて行く昔ながらの人も多い。でもおもしろいのは二十代前半だと思われる若い子たちもかなりの確率で頭を下げない。
 
ここに世代間のギャップがあるように思う。年長の人たちは「年上は無条件に敬われるものだ」って思ってるのに、若い子達にはそんな意識が全くないのだ。おそらくこのギャップが今いろんな会社で起こってる「謀反」の根源にあると思う。
 
現代の仕事のスタイルと10年前の仕事のスタイルは違って当然だし、それが20年前であればもっとそう。その当時のスタイルや価値観をそのまま現代に当てはめようとするからおかしくなる。しかもそもそも年長者を敬う意識の低い世代には余計に理解できない。
 
<終>自分の経験や道徳から導き出される正しさを一つの「参考」として人に伝えていくのはとても重要だけど、それが押し付けに変わると一気にしんどくなる。世代も価値観もスタイルも違う世代と融合していくのであれば、まずは「目線の高さ」を合わせることがとても大事だと思う。