シルタス!

“知る” に何かを “プラス” 〜 「人生ネタ的」何でもアリなブログ(今はこちらのメインブログで書いています。http://enrique5581.net/)

「俺のことなんて誰も見てねえよ」って強く意識してから数日・・・

★★たまにポチッとお願いします(*´ェ`*)★★ 人気ブログランキングへ 「テメエの事なんて、どうせ誰も見てねぇよ」って気持ちで生きる  リンク:(http://ow.ly/mx7zC) 数日前に書いたエントリー。 「テメエのことなんて、どうせ誰も見てねえよ」って自分が今までいかに自意識過剰だったかに気づいて以降のことについて書く。(まぁ誰も読まないと思うけど・・・) <前向きになる、って言うか・・・前しか見なくなる> 人の評価を気にして自分を演じてると、何を選択するにも「過去」のデーターベースを重要視する。そこで成功したものを選択し、失敗したものは避けるようになるし、失敗したものについてはいつまでも苦手意識がつきまとう。 しかし考え方を変えてからは、「確かに過去には失敗したけれど、今回は分かんないよね」って純粋に思えるようになった。過去のデータベースはあくまで「今までのこと」であって、「次の瞬間」にはどうなるかワカラナイ。もしかしたらとんでもない大成功する可能性だってある。「おめでたいね」って意見もあるかもしれないけど、それすらどうでもいい・・・ <捨て身になる、って言うか・・・自信が湧いてくる> 人の評価っていいものであれば自信になるし、悪いものであれば教訓になる。しかし人から評価されることによって自信が得られると考えてるとすればそれは危険なことであって、裏を返せば人から評価されないと自信を持てないってことになる。そもそも人は自分の事なんて「見てない」んだから、いつまでたっても評価されるわけ無い。そうなるといつまでも自分に自信が持てないでいる。 しかし考え方を変えてからは、自分と今と未来しか見てないから不思議な自信が湧いてくる。自分が考えてることを行動に移せばまずそれで満足、そこで結果がついてくればもっと満足、そんなシンプルな状態だ。そこで人の目にどう写ってるか、過去の経験から結果がどのように予測されるかなんてどうでもいい。自分と今と未来しか見てないんだから。 <壮大に考える、って言うか・・・そもそもの発想が自由になる> 人の評価や過去に囚われてると、自由に考えてるようで実はもの凄い狭い範囲で物事を考えて選択する。自分がやりたいことよりも「人に評価されやすいこと」、成功することよりも「失敗しないこと」を優先するようになる。僕自身、苦手なことっていっぱいあるし、今の仕事でも出来たら避けたいことはいっぱいある。 しかし考え方を変えてからは、そんなことすらどうでもよくって、まずは自分のやりたいことと成功から逆算して今を考える。その中に過去に失敗した経験のある要素や、もしかしたら人から奇異な目で見られるものが含まれてたとしても無関係。純粋な逆算方式で発想するようになる。「自分のやりたいこと」とか言うと自己啓発まがいっぽくてヤダけど、例えば仕事のある案件で自分が望む着地地点があったとして、それを社内の評価だ、誰それの立場だ、力関係だ、前の貸し借りだを除外してシンプルに行動できるかどうかってことだ。 後はなんだろうな。 ボクは今まで「長所を伸ばす」よりも「足りない部分を補う」って考え方をしてきたんだけど、「足りない部分」って発想が無くなったな。それはあくまで「今まで」の話だからこれから積み上げればいいだけの話で、決して「足りない」ものではないはずだ。だからこれからそれが必要になるのであれば、全力で習得していくだけ。たったそれだけのことだ。 毎日すっごい心地いい。 どうせ誰も自分の事なんて見てないんだよ。 だったら思い切って自由にやろうぜ、って感じだ。