シルタス!

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お前が言う「苦労」をしたところで、行き着く先がお前レベルかよ。。。

楽しみながらでも、人は成長できる リンク:脱社畜ブログ(http://ow.ly/ivwRi) 成長に苦労はつきものです。 いや、正確に言うと世間ではそう言われがちなんだが。 まぁ確かに、痛い目を見た方が心や体に刻まれる記憶も深くなって、それが時に恐ろしいパワーとともに成長をもたらしてくれるものなんだけど、何か無駄に「苦労信奉者」が多いと思うんだよな。 ヲラは昔から色んな方に「お前は苦労が足らない」「俺の苦労に比べたらお前なんて」的なことを言われて育ってきた社会人なんだが、その数カ月後にその人の成績をグンと追い抜いてしまった、その人よりも出世してしまったような事案も数多くあって、御多分にもれずその方とはその後疎遠の極みになったり、そんな成功(失敗?)体験を持ってるわけです。 苦労なんてしなければそれに越した事はないし、それを苦労と感じるかどうかでその人からにじみ出る空気感や、人への話し方って変わるもんです。 ヲラは年下のこと話すときに「苦労しろ」なんて言わないよ。絶対に。 成功した人が語る過去には苦労話、苦労体験が必ずあるものだけど、だから成功できたって紐付け方はかなり強引な気がするんですな。自分に置き換えてもそうだけど、そういう体験って後から振り返った時に「結果的にあれも良かったよね。」「有りがたかったよね。」って思えるだけであって、リアルタイムにはなかなかそうは思えないわけですよ。つまり後から語られる「苦労話」は美化されてる部分が多分にあるって事です。 それを本で読んだり見聞きした人たちが、何となく「苦労しなければ成長はない」「成功者はみんな苦労してる」って事で苦労信奉者が量産されてるんでしょうな。残念なことに。 でも苦労の必要性を語る人って、実はそんなに成功してない場合が多いってのもまた事実だと思うんですよ。まぁ会社である程度認められてるとか、それなりの立場にあるとか、多くはその程度ですよね。それはそれで素晴らしいことなんだけど、どうせ仕事をするならもっと上を見てやりたいところだよね。 だから 「お前が言う「苦労」をしたところで、行き着く先がお前レベルかよ。。。」 そんな気持ちになって欲しいんだよ。 苦労信奉者の話はそんな風に聞いて。絶対に大したことないもんだから。それを信じて愚直に進むぐらいだったら、自分が本当に楽しめることを、楽しめるやり方でやっていった方がいいんだよ。それを探すにはある程度色んなことを経験する事が必要だし、そのプロセスで必要悪的な苦労に遭遇することはあるかもしれないけどね。 そんじゃーーね。 ★★ポチッと頼むぜ★★ 人気ブログランキングへ