シルタス!

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表現者に見る狂気と素の両立

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突然知り合いの社長さんから荷物が届いた。 中を開けてみると、現宝塚トップスターのサイン入り著書だった。(しかも宛名入り…)懇意にされてるのは知ってたのだが、まぁ何と言うかこんなオサレな事がサラッとできるオトナになりたいもんだ。アザッス。 振り返ってみると、今年の一月ぐらいにこの未涼さんの舞台で「舞台」と名のつくものに初めて足を運んだのだけど、ビジネスとの共通点も色々と見つけたわけです。 表現者というのは何も、物書きや役者などに限ったことではなくて、広義の意味ではビジネスマンや他の仕事の人もみんな表現者だと思うんですね。それが直接的か間接的かの違いで。。「営業マン」なんかは分かりやすい表現者かもしれない。 いささか暴論ですが、営業マンとして社内の一番になるのは結構簡単なことだ。他の人との違いを見つけて、徹底的に人に好かれるように演じて、無我夢中で走ればいいんです。ただこれだけで社内1番なんかには簡単になれる。でも難しいのはこっからで、「業界で有名」「~と言えば◯◯さん」と言われるレベルになるのは大変なことなんだよな。 ここまでイケる人っていうのは、どこかに自分の「素」を残してる。 もっと若い時って、ある程度の地位までイケる人はそれこそ完璧に自分を演じてるもんだと思ってた。いや、正確にはその要素はあるんだけど、最後の最後の部分に必ず自分の「素」が残ってるんだよな。それがかわいげになり、愛嬌になり、魅力(フェロモン)となって人を惹きつけるんだ。だからものすごい感じのイイ人でも、どこか人間味の感じられない機械的な人って、数字は残せるけど人にモテない。だから小さな集落では「デキる奴」なんて言われるだろうけど、それ以上は伸びないもんだよ。 役者さんもそう。 歌手なのか役者なのかなんなのか分からない某Kタクなんかはどの映画を見ても同じ演技なんだけど、「名役者」と言われる人も最後の部分に「素」が残ってる。コメディであってもミステリーであっても、どんな役柄でもどこか物寂しさを感じさせる役者さんを不思議に思ってると、著書や情熱大陸的なドキュメンタリーを見た時にその物寂しさを持った素の部分を見て妙に納得したりする。それがその役者さんの個性となって、代わりのきかないものになるんだなと。 さっきの暴論の続きだけど、脚本通りの役者になるのはほとんど誰でもできるんだよ。そこに個性をプラスするのが付加価値の部分であってね。今年の11月ぐらいにそれに気づいて考え続けてきたんだけど、2013年は何かをプラスするよりも、素の自分に戻ることがテーマになると思うな。 表現者からとんでもねぇもん学んじまった。 ★★ポチッと頼んます★★ 人気ブログランキングへ