シルタス!

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週末雑感:大きな感情の流れとの付き合い方

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俺は人のちょっとした変化にも敏感な方だと思う。 服装や見た目はもちろん、ちょっとした気持ちの動きによる表情の変化、空気感を敏感に察知する事ができる。 このブログでも何度か触れているが週末は母校に行って中高生のバスケットボールに参加している。練習に参加していると、精神的に未熟な学生たちの気持ちの動きについていつも興味深く観察させてもらってる。「未熟」ということは悪いことのようだが、取り繕いや建前がない分、それだけ人間の「本来の姿」が分かるという意味でもあり、オトナになって忘れかけている部分を呼び覚ます良いきっかけにさせてもらってる。 彼らは非常に率直だ。 嬉しかったらニヤける(ゆとり世代の特徴なのか、あまり爆発はしないが…)し、イライラすれば投げ出すし、悔しければ泣く。 昨日そんな彼らの気持ちの流れを観察していると、普段は温厚でしかもスキルが高く、ムードメーカー的な存在の女の子が珍しくイライラしていた。周囲でミスが起こると不満をあらわにして憮然とした表情、そして自らのプレーも雑なものになっていた。練習が終わるまで声をかけるのを我慢して、練習終了後に呼び出し、「どうした?」と聞いた瞬間から泣きだしてしまった。 曰く、ゲームがあまりにも思い通りに進まず、大差で負けてしまったことが許せなかったそうだ。 まぁ全体的なことを考えれば、チームのキープレーヤーがあそこまであからさまに不満を露わにすると全体に悪影響が出てしまうと言える。これは会社員にも言えるけど、フツーの人の機嫌と、キーマンの機嫌の影響の差はあると思う。 ただそんな事よりも、その「悔しい」って純粋な気持ちがいいなと思った。 そう思う背景もあって、彼女たちは生徒数の問題から部員数が足りず、現段階で公式戦には出場できたり、できなかったりしているのだ。そんなモチベーションのぶつけどころが微妙な状況でも、日々の練習で「悔しい」って気持ちを抱けるのはよっぽどの自己意識がないとできないと思う。 オトナになるとなぜか「悔しい」という気持ちを失う。 物質的なもの、名声、立場、金銭面などの競争意識は芽生えるのに、純粋な競争意識を失う。言ってしまえば「闘う気持ち」とでもいうものか。俺はなぜか年々「悔しい」と感じることが増えている。周囲には驚かれるのだが、いまだに悔しくて思わず泣いてしまうことがあるのだ。 悔しくて悔しくて思わず泣いてしまう。 あまりにもショックで凹んでしまう。 嬉しすぎて喜びを爆発させる。 オトナになるといなし方、感情jの処理の仕方を覚えて、こういった大きな感情の動きと距離をとってしまいがちだし、自己啓発書などでは「生きるとは?」「人付き合いとは?」「そう思ってしまう自分を省みよう」といった事が説かれ、聖人君主のようなあり方が推奨されているが、そんなものはクソだ。むしろもっと傷ついて、もっと楽しみたい。そんな暑苦しい人生を生きたい。 昨日泣いてた女の子、まだまだ絶対伸びる。俺はそう信じてる。
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