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書評…アナーキー・イン・ザ・JP…明日はやって来ないかもしれない

アナーキストhttp://goo.gl/0eQRyアナーキズムを信奉する人。無政府主義者。 アナキズムまたはアナーキズム(Anarchism)は、国家を廃絶し、自由な個人から構成される、相互扶助を基調とする小さな地域共同社会または中間的集団の確立を主張する思想。社会主義の流れを汲むものもあれば、個人主義の流れを汲むものもある。日本語では、無政府主義と訳される。自由至上社会主義(Libertarian Socialism)も同意味。 「囚われない生き方」「固執しない」「こだわらない」「断捨離」 世の中は個人が重要視され、今まで当たり前のようにそばにあったモノや考え方を払しょくし、自由になる方向に向かっているようだ。 興味深く思う事がある。 「部屋を掃除した」「物を捨てた」とTwitterでつぶやいたり発言すると、すぐに「断捨離ですね!」と言ってくる人たちがいる。恐らく自分もその生き方を実践しようとしているから、「捨てる」「離れる」というワードが彼らのアンテナに引っ掛かるんだと思う。 そこで思う。 そういった人たちは「こだわらない生き方」にこだわり、「囚われない生き方」に囚われてるんじゃないかと。 捨てる、離れるはあくまで一つの手法、手段であって本質ではない。一番は物事に囚われなくなり、精神的に自由になることだ。それが実現できるのであれば、物がいっぱいあってもいいのである。本質を見誤ると、反韓を主張しながらギャラクシーのスマホを使うようなよく分からない事態になるので注意が必要だ。 「No Future」 本書に出てくるワードで、SEX Pistolsの曲名だが、もしかすると明日はやってこないかもしれない。自分が絶命するかもしれないし、このブログの「投稿ボタン」を押した瞬間に地球が爆発をするかもしれない。普段はそんな事は意識しないのだが、自分の人生を精一杯満喫しようと思えば、一日たりとも無駄にはできない。 「No Future」は「未来なんて無い」という意味ではなく、「明日なんて来ないと思って生きる!」そんな意味だと受け取った。