苦しむ友人が見せてくれた「衝動」という光
今日は友人とランチをしました。
昨日突然メールをもらって、何か雰囲気がいつもと違うので、気になって何度かやり取りしていると、何やら悩みを抱えてるようで… しかもその文脈から「これは何かあるな?」と直感が働いたので、急遽予定調整して会うことに。そうすると案の定、大きな悩みを抱えていました。
苦しんでる姿を見て思ったのは「今はただ、聞く事しかできないな」って事でした。本人にも言いましたが、ある意味無力です…
なぜかと言うと、抱えてる問題は違いますが、悩みの本質は僕にも理解が出来たからです。理解が出来るからこそ、問題が起こった直後の今、中途半端な励ましの声はとてもかけられませんでした。本当の本当に苦しいと思う。
でもプラス思考に考えるとすれば、苦しいときこそ自分と向き合うチャンスでもあります。酒や異性、何かの集会といった一時の快楽に逃げたところで、解決もしなければ、むしろ逃げてる自分に対する罪悪感や後悔が増幅するだけ。友人はそれをよく分かっていて、苦しい今こそ「普段の生活リズム」を守ろうと努力しているそうです。本当に素晴らしい、でも辛いとも思う。
僕が一番素晴らしいと感じたのは、友人が色々と話してくれた中に「~したい」「~をしていきたい」という言葉が多くでてきたことです。
昨年に僕自身も散々振り返ったことですが、サラリーマンや組織人として生きていると、「~したい」よりも、「~すべき」「~した方がいい」を優先してしまうようになります。いわゆる企業病でしょう。で、多くの場合「~すべき」は自分が「~したい」と思っていることとは一致しません。そこで頭と心のバランスが取れなくなったときに苦しむケースが出てくるわけです。(まさに僕自身の体験談ですが…)
「~すべき」は理論やモラル。
反対に、「~したい」は衝動です。
この違いからも、どちらが強烈なパワーを生むかは一目瞭然でしょう。
日曜日の夕方からは明日からの仕事の事を考えて憂鬱になる。これは「会社に行くべき」だからです。
反対に、金曜日の夜に明日のゴルフやウィンタースポーツに出かけるのが楽しみなのはそれが「したいから」です。
「~したい」を優先すると、えてして周囲からは「自己中」と評されてしまいそうですが、僕はそうは思いません。「~したい」をスタートにすれば、大きなパワーが生まれ、大きな結果を残せる可能性が高まり、結果的に人のためにもなるからです。だからこそ、その環境にそう思えるものが無ければ、すぐにでも環境を変えて方が良いと思います。
逆に「~すべき」を優先している限りは、どこかで限界が来て頭打ちします。頭では理解できていても、自分の本当の欲求との相違が生まれて、いつしか体が動かなくなるからです。
今この苦しいときに「~したい」という自分の欲求が分かっている事を知って、少し安心しました。
今は苦しいと思う、本当に。
でも、いつしかまた飄々と「うし、やったるか。」って言ってくれる、そう信じてます。
ストレートさを嫌う友人なので、こんな事を書くと「なんか小難しいこと書いてたな~」って言われそうです。飄々と(笑)