”優等生” が 優等生でなくなった日
決して「勉強が出来る」という意味ではない。
組織における優等生。
私が考える “優等生” の基準は3つある。
<1> 周囲に “ウケる” 事を基準にしている
<2> 有名人、著名人の受け売りが自分の考えのように勘違いしている
<3> 黙々と仕事をこなす “事なかれ主義”
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<1> 周囲に “ウケる” 事を基準にしている
自分がやりたいこと、自分が本当に考えている事よりも、周囲からの評価を優先させている。
でもその内、それが自分の考え方のように錯覚する。
このタイプは、組織の中では一見うまくいっているように見えて、実はストレスが多い。
評価を人に依存してしまうがために、その評価によって感情が大きく浮沈する。
なぜなら、人の評価は移ろうものだから、ずっと自己評価と他者評価が一致する事などありえない。
うつ病になる人も、このタイプが多いように思う。
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<2> 有名人、著名人の受け売りが自分の考えのように勘違いしている
これも意外に多いタイプ。
話をしたり聞いたりしていると、綺麗な言葉を駆使して「もっともらしく」聞こえるのだが、後々になって何の印象も残っていない。
報道や、著書、流行語を駆使し、「どこかで聞いた言葉」を多用する人だ。
だが言うまでも無く、多くの苦労や試行錯誤をしてその言葉にたどり着いた人と、単純に言葉だけをコピーしている人では、言葉の裏の重みが違う。
そして、その言葉の後に生み出される行動にも大きな差がある。
それは、受ける側が無意識に感じ取るものだ。
何となく「軽い」印象を受けてしまう人は、このような人だと思う。
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<3> 黙々と仕事をこなす “事なかれ主義”
決してルールを侵さず、人にも逆らわず、ただ黙々と物事をこなす。
一見すると従順で使いやすい人。
悪く言えば、自分の意見が全く無い。考えていない。
何か問題が起こっても、「判断された後の」仕事を黙々とこなす。
決して自分で考えない。だからこそ、人と「議論」が出来ない。
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ちなみに正直に告白すると…
上記<1><2><3>について分析できるのは、私自身がそのように過ごした経験があるからだ。
(うつ病にはなっていないが…)
その経緯があって、周囲を分析すると、3パターンに分かれることが分かったのだ。
もちろん、どの存在にも良し悪しがある。
上記のようなタイプも組織においては必要だ。
みんなが自己主張をしだすと、組織は簡単に崩壊する場合もある。
ただ、出来ることなら、「自分で考える」事は前提として行いたい。
なぜなら、人の判断で行ったことは、失敗しても成功しても「あの人の判断で…」というエクスキューズがついてまわる。
そこに自分への責任は無く、プレッシャーもないため、いつしか軽い判断しか出来なくなる。
その内、思考停止して考えることすら出来なくなる。
でも、その環境に慣れてしまうと、「自分で考えていない」事にすら気付けなくなるのだが、当の本人は、自分は誰よりもその物事について考えているかのように思っている。
まさか自分が自分で考えていないとは… 夢にも思っていない。
こういったことのジレンマは、言葉で伝えてもなかなか分かりづらい事だ。
自分自身で、「自分は考えているのだろうか?」「これは心から出た自分の言葉だろうか?」、これを常に自問自答する必要がある。
こういったブログも同様で、私の日課でもある。
嬉しい事があった。
“優等生”だった人が、脱皮した。
なぜ脱皮したと私が確信したかと言うと、彼女は「格好悪い自分」を晒す決断をしたのだ。
自分自身の心と向き合って考えなければ、「人の評価を気にして」「綺麗な言葉を使い」「事なかれ主義」の “優等生” が「格好悪い自分」を晒す決断を下す事はできない。
それは、その人が“優等生”でなくなった瞬間だった。
本当に嬉しかった。でもその反面悔しい。
負けてられない。私ももっともっと変わってみせる。