自分だけが正確に分かってたら良い…
今日、職場で起こった事。
午前中の営業を終え事務所へ帰ってみると、同僚があるトラブルに見舞われていた。
トラブルが起こった場合、突如としてイレギュラー対応に追われる。
刻一刻と変わっていく状況、得た情報で、対応すべき事、動く内容は全て変わる為、正確な判断が求められ、一つのミスが致命的になる場合も多い。
そのような状況では、言うまでも無く一番緊張を強いられるのは当事者だ。
情報を集め、考え、判断して、指揮を取り、メインで対応をする。
その過程の中では、様々な人に助言を求める。
熱心に助言をしてくれる人もいれば、腫れ物に触るような、また、野次馬のような人もいる。
解決した瞬間にしゃしゃり出てくる人もいる。
そんな事を感じながらも、一つでも良い情報を集めようと真摯に努力する。
その結果、ミスをする事もある。
(私も多くの失敗経験がある。)
実際、今日下した判断はミスにつながった。
(助言をした私も、そのミスに加担してしまったので申し訳なく思う。)
当事者はさぞ落ち込むだろう。様々な責任も感じると思う。
この出来事からの教訓は3つある。
<1> ミスは、ただ「判断が間違っていただけ」である
<2> 経験者、先輩の助言は「最適解」であって「正解」ではない
<3> 自分で自分のことを正確に評価できれば、それで良い
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<1> ミスは、ただ「判断が間違っていただけ」である
私がいつも思うのは、例えミスをしたとしても、それはたまたまその時に下した「判断が間違っていただけ」なのだ。
次回から正しい判断が下せるようになれば良いだけの事で、ミスをした人の価値が下がるわけではない。
よく、そのミスに対して、自分自身までも否定してしまう人がいるが、それは間違いなのだ。
今回の件を糧に、次に活かせば良いだけである。
本当にシンプルに、ただそれだけの事だ。
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<2> 経験者、先輩の助言は「最適解」であって「正解」ではない
ビジネスは基本的に正解が無い。
経験者や先輩の助言は、「経験に基づく」「最適解」であって、「正解」ではない。
しかし、先輩、経験者上位の考え方が強い日本社会では、先輩の「最適解」こそが重要視される場合が多い。
たが、それは単なる確率論の問題で、新人や新卒が下した判断の方が、より良い場合も実際には多いのだ。
だからこそ、私はいかなる状況でも、年齢、性別に関わらずに情報を求め、自分が信じられる判断を下すようにしている。
経験者、先輩の助言に従わずに、結果ミスをした場合は、「それ見たことか!」と叱咤されるだろう。
しかし、そんな事を気にしてはいけない。
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<3> 自分で自分の事を正確に評価できればそれで良い
そして一番重要なのは、この件で大きな犠牲と労力を払ったのは、周囲の人ではなく、その当事者自身だという事だ。
全てのプロセスはもちろん、頭の中で考えた事、プレッシャー、心労…
全てを抱えながら、判断をして前進していく。
断片的に、人に報告や相談が出来たとしても、そのプロセスを100%理解しているのは自分自身しかいない。
だからこそ、正確に自分で自分を評価できればそれで良いのだ。
繰り返しになるが、ミスは「判断が間違っていただけ」であって、なぜその判断に行き着いてしまったのか、どうすれば良かったのか、それを振り返ればいい。
人から笑われたり、同情されたり、怒られたり、恥もかくだろう。
しかし、そんなことは取るに足らない事で、評論、批評好きの人に任せておけば良い。
これも繰り返しになるが、自分の事は自分にしか分からないからだ。
今回の件に正面から向き合ったその同僚には感心した。
素晴らしい行動力だったと思う。
私も関わった身としては、できればその問題を解決できて、その人が賞賛されるような事になれば良かったと思い、責任を感じている。
早速、私も自分を振り返ってみよう。