シルタス!

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「変わらない事」 も立派な生き方の選択だ

自己啓発が盛んな昨今、「変わらない事」は無意識に「ダメな事」「意識の低い事」だと感じてしまう。 実際に私もそうだ。 しかし、昨日はそれに気付かされる出来事があった。 それは月に一度、「変わるため」に色んな取り組みを話し合っている仲間との事。 1月も前月まで同様に、21日に集合する予定を立てていたのだが、行事が重なるために日程調整が必要になった。 元々その日程は彼らからの申し出だった。 しかし、いつまで立っても日程変更の連絡が無い。 こちらの予定も立たないので私から連絡してみると、メールの返事に2日もかかったりする。 その時点でこの会の優先順位が低いのは明らかだった。 私も、いつでも時間調整可能なほど暇ではなく、彼らと会えないのなら、他の人と会う予定を入れる。 単なる食事会に成り下がるような、意識のズレのあるまま集合しても、有益なリターンは得られない。 それは「お互いに」だ。 思い切って彼らに聞いてみた。 普段の私なら取らない行動だったが、それまでも本音をぶつけてきたからこそ、最後までそれを通そうと思ったのだ。 私は過去の反省から、人となあなあなお付き合いをする事は、絶対にやめようと心に誓っている。 彼らから出てきた答えは 「自分がどうなっていきたいかが、現時点でイメージできていないので、積極的に行動できなかった」との事だった。 聞いた瞬間は「何を今更!?」と思ったが、これも本音をぶつけたからこそ返ってきた本音だった。 その後すぐに、本音を返してくれた事に嬉しさを感じるようになった。 そして、しばらくこの集まりを中止しようという結論になった。 私の説明や、元々持っている雰囲気が悪かったのかもしれない。 ただ、「変わらない事」は決して悪い事ではない。 極端な例を挙げれば、組織で有利なポストにつくために、有力者にゴマをすって取り入ろうと努力する人がいる。 それは一見悪い事のようだし、格好も良くは無い。 しかし、それもそれでその組織の中でより良い生き方をするための術である。 有力者に取り入り、仕事が有利に進められるようになり、結果的にポストと報酬を手に入れる。 これも一つの選択だ。 私は知らず知らずのうちに、「変わる事」を人にも強要していたのかもしれない。 同じ志とモチベーションを持っている相手ならそれは通じるが、そうで無い場合は単なる独りよがりに過ぎない。 これは大きな反省だ。 日本人の特徴として、主張が食い違うと人間関係まで悪くなってしまいがちだが、今回彼らとは「変わる事」の目的においてズレがあっただけだ。 今後は違う目的の元、本音で付き合っていきたいと思う。 それにはまた、私の努力が必要だ。