シルタス!

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映画評…ゆれる…愛情と嫉妬の違い

------------------------- 写真家の猛は、母の一周忌で帰郷した。父と折り合いの悪い彼だが、温和な兄・稔とは良好な関係を保っている。翌日、猛は稔、そして幼馴染の智恵子と渓谷へと向かった。智恵子が見せる「一緒に東京へ行きたい」という態度をはぐらかして、一人で自然へカメラを向ける猛。そんな彼がふと吊橋を見上げた時、橋の上にもめている様子の稔と智恵子がいた。そして次の瞬間、そこには谷底へ落ちた智恵子に混乱する稔の姿だけがあった…。 ------------------------- 会社の先輩にオススメされて、興味を惹かれたので見てみました。 平たく言えば、兄弟愛・人間愛に着いて描いてるのですが、相当深い。 まぁなんと言うか… 何も言えませんね……いや、ブログ書いてる意味無いし、何か言おう。 うーーん。 人の愛情が行き過ぎてしまうと、それは時として嫉妬や憎悪に形を変える事があります。そして、そういったものに取り憑かれた人は、事実を捻じ曲げてみたり、必要以上に詮索したり、通常の自分からは想像もできないような行動に走る事があるんですよね。逆に言えばそれだけのエネルギーを生むものでもあるという事です。 理屈っぽくなるのは嫌なんですが… 愛情と嫉妬の区分けって難しいと僕は思っていて、これは『恋人の事が好きすぎて、周囲のいろんなことに嫉妬してしまう』というニュアンスの場合ではありません。 人の才能への嫉妬、その人そのものへの嫉妬の場合です。 実は、ベースに嫉妬の気持ちがあると、表面的には愛情深く接してるつもりでも、どこか押し付けの気持ちがあったり、少し驚くような相手のリアクションを期待してしまいます。この状態だとお互いが心地良くはないので、いずれは意思疎通が取れなくなり、一方通行になる。そして更なる押し付けと嫉妬を生む。なんかくらーいですけど、このケースって多いように思います。 問題なのは、この渦中にある時には嫉妬してる側の本人は、これが『愛情』だと思い込んでる事にあります。人はなかなか正直に人への嫉妬は口にできません。だって単純に恥ずかしいし、悔しいしね。 『嫉妬』を『愛情』だと思い込んで、相手に押し付けると… 結果は簡単に想像がつくでしょう。 ただ…全く逆で、ベースに『愛情』があるなら… これはまた別です。一時的には血迷った行動をしてしまっても、原点に気付いた時にはまた戻ってこれる。まぁこのタイミングも難しくて、自分が気づいたタイミングでは相手は気づいて無いかもしれないし、逆の場合もあると思います。 うまく表現できないんですが、愛情、嫉妬、弱さ、強さ、そんな事もぜーーんぶひっくるめて生きるのが人間らしいです。僕はそんな人が好きですし、自分もそうでありたいと思ってます。 こんな取り止めの無い文章を書くような気持ちになりたい方には、オススメします。