シルタス!

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今日の脳カツ 22.考える「能力」ではなく、「量」について

「考える」事というのは、数値化もできず、個人によってその認識や度合いが異なる。目安となるレベルのようなものも無いので、どこかふわふわしてる。でも最近色んな人と話していると、自分なりに少しずつヒントが見えてきた気がするので、言葉に書き起こしてみる。 昔は考える事、そして強力な自分の意見を持つ事は「能力」の差によるものだと思っていた。しかし仕事で結果を出してる人、生み出す(創作)仕事をしている人にお会いして話を聞くと、「私はその事についてずっと考えてるんだよー」という趣旨の発言をされている。そして本当に一日中考えてるそうだ。 そもそもの考え方でいれば、いくら新人(新卒)だらかと言って、全て先輩に教えを乞おう、言われたことを忠実にやろうという姿勢は頂けないと僕は思ってる。最初からそんな姿勢で臨んだところで、その先輩たち以上には絶対になれないし、ミスをした時に全て自分の責任という姿勢が欠如する。 自己責任の姿勢が欠如すると、何かにつけて「教えてもらってない」がエクスキューズになり、いつしか緊張感を失う。そして何より問題なのは、「先輩の言う事を忠実にやる」というのは、実は自分で考えなくてもいいという事だ。そんなスタイルの下積みを数年過ごしていたら、人は簡単に思考停止する。 「一日中考えてる」 発言をまとめていて気づいた事は、結局のところ結果を出してる人と、そうでは無い人の違いは、考える「能力」ではなく、「量」の違いだという事だった。企画会議のその時だけ考えて、「いいアイディアでないねー」と言ってる人と、一日中考えてる人、その量の差は明らかだ。 「考える」というと、すぐに「答えをだす」事だと勘違いしてしまう。それが先述の「いいアイディアでないねー」発言に繋がる。しかし一日中考えてる人は、一日中良いアイディアを出してるわけでは無い。自分の経験から言っても、むしろその時考えた8割ぐらいは無駄になってしまうと思う。 その時に考えたアイディアの総量は、その案件ではほとんどが無駄になってしまうかもしれないが、違う案件について考えてる時に、引き出しからふと浮かんでくる。だからその時に無駄になったアイディアは、実は長い目で見れば無駄にならない。そして「これだけ考えた」という事実が自分を強くする。 結果の差が考える「量」に起因するのであれば、ある意味恐ろしい。ずっと考えてる人が1日10時間、そうでは無い人が1日10分考えてるとすれば、時間の経過とともに圧倒的な差が出来ていく。まずは脳力、そして結果。だからこそトレーニングとして自分に課してでも、自分で考えていく事が大切だ。