シルタス!

“知る” に何かを “プラス” 〜 「人生ネタ的」何でもアリなブログ(今はこちらのメインブログで書いています。http://enrique5581.net/)

群れることによる洗脳の恐さと、孤独の重要性 … シカゴ・カブス スティーブ・バートマン事件

現在ニート生活を送っているので…
珍しくテレビをつけてみると、CSでおもしろい特集をやっていたので、思わず見入ってしまいました。そして、その内容に計り知れない恐怖を感じて、悪寒が走りました。

その特集は、スティーブ・バートマン事件のものでした。

スティーブ・バートマン事件とは、2003年10月14日に行われたMLBナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ第6戦の8回表に起こったシカゴ・カブスファンによるファールフライの捕球妨害事件のこと。その直後、リーグ優勝まであとアウト5つに迫っていたシカゴ・カブスが大量失点を喫してフロリダ・マーリンズに逆転負けし、翌日の第7戦も敗れてワールドシリーズ進出を逃したことで、この事件はシリーズのターニングポイントと見られるようになりました。




マーリンズのルイス・カスティーヨがファールゾーンへ飛球を打ち上げ、左翼手モイゼス・アルーが三塁観客席ギリギリの地点で捕球体勢に入っていましたが、落下地点付近のスタンド最前列に座っていた男性が手を伸ばしてボールに触れ、弾き落してしまいました。捕球に失敗したアルーは捕球を妨害したファンに向かって、激しい怒りを露わにしており、この時、男性の顔がテレビ画面に大写しにされたため、その男性がシカゴ郊外に住むスティーブ・バートマン(Steve Bartman)という27歳の青年であることが、試合後にインターネット上で特定されてしまいました。

その後、1イニング8失点で大逆転負けを喫し、カブスは58年ぶりのワールドシリーズ進出を逃してしまったため、この騒動は更に加熱することになります。全米の話題にもなり、繰り返し報道され、特にシカゴ市民からは「殺す」などの殺害予告や、嫌がらせ、またその年のハロウィンではみんながスティーブ・バートマンの格好をして参加したそうです。
↓のようなパロディめいた画像も作られ、一人の男性の人生を大きく変えてしまいました。


メジャーリーグの規定を見ると、ファンがグラウンドにまで手を出して捕球してしまった場合、打者はアウト。しかし、スタンドに入ってきたボールは問題なく捕球して良い事になっています。カブスという弱小チームが掴んだ一世一代の大チャンスだった、そしてこのゲームに勝てばワールドシリーズに進めるという重要な試合、しかもその8回という重要な局面で起こり、しかもその後に最悪のシナリオが現実となってしまった。色んな不運が重なった事件ではあると思います。しかし、この経緯や顛末には違和感を感じざるを得ません。

そして僕は最も感じたのは、「集団(群れる)」事の恐ろしさで、それは洗脳に近いものがあります。

そもそもの問題を整理してみます。

<1> 問題のシーン、ルール上は打者アウト
 問題のシーンを見てみると、非常に微妙ではありますが、僅かにグラウンドに手を伸ばしてとっているので、いずれにしても本来はアウトになるべきところでした。しかし当時はビデオ判定も無かったため、そのままゲームが進行してしまいました。

<2> その後の大量失点と第7戦の敗戦はチームの実力
 ここが非常に重要なところですが、プレーしているのはスティーブ・ボートマンではありません。チーム、そして選手なわけです。もちろん重要な局面での流れを止めてしまう事件だったとは言え、なぜ打たれた投手、監督、エラーをしたショートの選手よりも、一般人のファンが批判を浴びるのでしょうか。

<3> 敗退要因をスティーブ・バートマンへと誘導するメディアの報道
 原因を突き止めるフリをして、おもしろおかしく一般人の実名を住所まで公表してしまったメディアの罪は大きいと思います。彼は人を殺した犯罪者でもなく、たまたま球場に足を運んだファンです。(しかも、風貌からも分かるとおり、カブスのファンでした。) これによって一人の人間の人生を大きく変えてしまったのです。


事件の後から試合終了まで、球場には「バカ野郎!」「あいつを殺せ!」「表に出してリンチしろ!」という怒号が鳴り響き、球場の外からは「バカ野郎!」という大合唱が起こっていました。最後には、彼に物を投げつけたり、ビールをかけるファンまで現れて、最終的には警備員に取り囲まれて球場を後にしました。(連れ出される際にも殴りかかったり、モノを投げつけるファンもいました。) 後のインタビューでも多くの人が認めている通り、彼のか弱そうな風貌が、非難に輪をかけたという一面もあります。

これは本当に恐ろしい事です。決して他人ごとではありません。
それは何か?

それはこの時、この後、彼を非難して追い詰める事は「正しいこと」だと、多くの人は認識してしまった事です。決して誇張ではなく、これは「洗脳」です。スポーツでの重要な一戦という重要な局面での市民の一体感(ベクトル)は、そのまま彼への非難へ移行したわけです。かつて宗教団体による凶悪犯罪も起きましたが、この特集を見てこれは他人事ではないと思いました。

客観的に見て間違ってることでも、同じことを共有している人の間ではそれが正解になる。倒産した企業を調査していくと、何年にも渡って不正経理が行なわれていたり、経営者が交代したタイミングで不正が露わになる事例は後を絶ちません。大企業でもそうなのであれば、中小企業にも大なり小なりの無数の不正が潜んでいることは容易に想像ができます。

しかし、その集団の中にいるとそれが不正だという事に気づかないのです。もちろん最初は分かっていたと思いますが、それが普通になるにつれ、罪の意識は無くなります。群れて上司や組織を批判している人たちも同じ。群れて人を批判することは自分が行動していないことへの言い訳でしかありません。本当にそれが不満で変えたいと思っているのであれば、一人でも行動を起こす人は起こします。そしてそれでも変わらないと判断したら、すぐに環境を変えるための行動をします。群れて批判している人たちは、結局のところ変えるつもりも、変わるつもりも無いのです、残念ながら。

結果を出すためには、「孤独」との向き合い方がよく研究されています。その本質は、孤独になることで「周囲や自分を俯瞰する事」だと思います。そうすることで、世の中の常識に捉われず、集団による間違った認識にも捉われない。そして、それこそが重要なカギになるのだと思いました。

この特集は本当に勉強になりましたね。