シルタス!

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というわけで……実は………転職します。

ご報告です。 この度2012年1月末日をもちまして、現職を退職する事になりました。 1.20(金)が最終出社日でした。 現職には22歳で入社してから9年間お世話になり、会社にはもちろん、同僚、取引先、お客様には本当に、本当にお世話になりました。良い機会なので、この9年間を振り返ってみたいと思います。 <入社まで> 元々は大阪の本町で行われる「服の仕分け」のバイトの面接に行ったものの、前職の鍼灸整骨院を退職し、仕事を探していてすぐに働きたかった僕は、派遣会社は他にも仕事を持っているだろうと思い、「ここじゃなくてもいいので、仕事をください!」と申し出て、そこで偶然にも現職が割り当てられました。派遣会社の方に「君、なかなかおもしろいね」とも… <入社してから> 派遣として入社してすぐは、会社としても業績を伸ばし始めた時期で、月200時間を越える残業をこなしながら、友人の結婚式で月に1日やっと休める、そんな日々が続いていました。過労働とはこの事で、労働時間という意味では、今までの人生でも一番働いた時期だったと思います。 <社員への誘い> 入社して2ヶ月もすると当時の部長から、派遣社員にも関わらず慰安旅行に社員と一緒に連れて行ってもらえると告げられました。嬉しく思いながらも、社員登用への「水責め」にされてるような気がして妙に不安だったのを覚えています。(部長の風貌をそれに輪をかけていました(笑)) 当時の自分は、他にやりたいことを見つけたかったため、社員になることは全く考えていませんでした。ただ、仕事をやっていくにつれて、楽しみを見出していたのを事実だったのでしたが、そういう誘いにはずっとお茶を濁していました。 <契約社員に> 半年経った頃、会社としても長時間労働をしていた自分の人件費が、派遣会社に払う分も加味すると非常に高額になっていた事もあって、コストダウンのためにまずは契約社員としてお世話になる事になりました。時給も多少UPして特にやることは変わらず、会社行事にも参加できるようになるので断る要素は何も無く、変わらずに一生懸命働き続けました。 今はもう会社にいない方がほとんどですが、当時を振り返ると本当に可愛がって頂きました。成長企業の中で時には衝突しながらも、人間的に温かく、助け合いの精神と笑いに溢れ、まるで家族のように過ごしました。後に社員になろうと思ったのも、そういった雰囲気が判断材料になりました。 <正社員に…そして、いきなり抜擢され…> 社員のお誘いをもうさすがに断れない空気にもなり、ついに正社員となりました。やりたい事を探すつもりでしたが、結局その時期は他に何もかったのです。採用前には、当時の上司と部長とともに近所の焼肉屋にご一緒し、自分の考えと会社の考えと、今後の構想を話し合いました。23歳の若者に対して、本当に手厚い手順を踏んでくださったと、今でも思っています。 配属は新しく設立する管理部門、しかも責任者としてでした。社員になってすぐの23歳の若者が新部署の責任者をするのは、今思えば大きな波紋を呼んだと思います。当時はまったくそんな事は意識もしていなかったのですが… 現実的に責任者となって、やる気満々で今までの流れを廃止して、どんどん新しいシステムを構築して効率化し、今までのような「忙しい」「大変」などの感情論が通じなくなると、何人かの先輩が辞めていきました。自分なりに向き合って慰留をしたのですが、引き止めることはできず、それはそれは辛い経験でした。落ち込んだり深く考え込んだりもしましたが、気持ちを切り替えてひたすらガムシャラに働きました。その一方で会社はどんどん成長し、仕事が増え、利益も出て超優良な状態。何もかもがうまくいっていました。 <標準化し定着> その後の約3年間で業務も標準化していき、生産の外注化も進んだため、社内も落ち着きを取り戻し、今度は管理面に目を向けるようになってきました。今まではただガムシャラにやってきた部分に対してきっちりと計画を立て、結果を検証したり、体制や組織を整える、本当の『会社』というものを目指していく時期になり、自分としても新しい役割を模索し出しました。 <本社へ> そんな中で、本社への異動の話が持ち上がりました。 商品原価や社内帳票などの製造に関わる一連の流れをフロー化して効率化する、そんな部署でした。短期集中の期間限定で約1年間、工場での経験も活かしながらあらゆる部門の不具合を調整して改善していきました。 この時期も、1年間という短い期間にも関わらずたくさんの衝突がありました。なぜなら、突然「必殺仕事人」のような人間が現れ、今まであった流れを壊して再構築していくからです。自分なりには既存社員の意向を汲めるように注意を払いましたが、それでも数多くの衝突が生み、人間関係や『変える』という行為へのアレルギー反応など、とても勉強になりました。 <国際営業> そんな時期を通り過ぎて、かねてから希望していた営業部へ配属。とは言っても、いきなり国際営業。当時は英語圏を担当できる人がおらず、しかも取引金額も少額だったので、多少の心得のある僕に白羽の矢が立ったというわけです。 未経験でしかも英語という何がなんだか分からない状況でしたが、何とか1年をこなし、無事に予算も達成。 その一方で、海外営業ではあるものの、海外顧客とバンバンやりとりしたり、出張に行くわけではなかったので、営業経験をつける為に、 会社に無理を言って国内のお客様も担当をさせていただきました。 結果的に、すぐに国内のお客様のお仕事の方が多くなるのですが… <国内営業> 結果的に国内営業の仕事が忙しくなったこと、英語圏の経験者が採用されたことから、国内専任の営業として配属されました。そこからの3年間も紆余曲折がありましたが、一営業マンとしても非常に大きな金額の数字を扱えるように成長させていただき、多くのお客様や人と出会うことができました。 <外に出て良かったこと> 最後の3年間は、本当に自分との戦いでした。 営業に異動する際にはあえて等級も降格して、色んな『お付き合い』を断ち、あえて孤独な環境に自分を追い込みました。そこまでしても、結果を出すために自分を変えたかったからです。『結果をだす』というのは言い換えると、会社に利益を与えられる、自分で稼げる、という状態です。営業という分かりやすい立場から、ダイレクトに会社の利益に貢献したい、そんな自分でありたいと強く思っていました。 でも振り返ってみると、それは大正解だったと自信を持って言えます。営業に出る前は、内勤でそこそこ結果をだし、しかもかなり若手だったので、「将来有望」のようなポジションでちやほやされていい気になってたと思います。でもそんな時期から4年経った今、社外のつながりができて、直にお客様のお役に立てる自分に成長しました。あのまま内勤で過ごしていれば、傲慢なままで、今の自分はなかったでしょう。 <退職の決断について> 自分がイメージしていたところ以上のところまで成長できたことを実感すると、ここからまたレバレッジをかけてもっともっと成長して結果を出しにいくためにはどうするか、そんなことを考え続けました。 その目的に立ち返ったとき、自分にできる事、やりたい事は環境を変えることでした。新しい環境で新しい事に取り組む。そして最後に勝ちに行く。同じ業界、同じ会社、顔見知りのメンバー、知り合いの会社への縁故入社のどれでもなく、思い切って新しいところへ飛び込む。そして脳細胞をフル回転させて、何倍ものスピードで成長する。それが自分の求めたものです。 <円満退職であることへの感謝> 今後の人生においても、すごく大きなことだと思っているのは、「円満退職」であることです。 私も多くの人を送り出してきましたが、退職する人は必ずしも円満ではない場合も多いのです。何かの衝突だったり、ポジション争いに敗れた腹いせだったり、不満が最高潮に達してしまったり、その他何らかの理由で追われるように辞めていったり。そういった方々とお話ししていると、退職してから何年経っても少なからず前職に対して良からぬ感情を抱いているものです。私にはそういう感情は全くありません。ただただ感謝の気持ちです。 昨年末に退職の意向を伝えてからは、各々が色んな形で気持ちを伝えてくれました。メールだったり、贈り物だったり、個別のお話だったり、食事会だったり、送別会だったり。 その気持ちが嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいで、たまに人知れず涙していました。 <関わってくださった全ての人へ> 最終出社日を迎えた今日、この9年間を振り返ってみると、本当に辛いことの方が多かったです。正直。 でもだからこそ、たまに訪れるうれしい瞬間のエネルギーは凄まじいものがありました。今まではそれを「辛い」と思いたくなくて、辛いと思ってしまってる自分への嫌悪感もあったのですが、今はそれをしなやかに受け容れることができます。 どちらかと言うと「改革派」や「営業」として、群れるよりは孤独な中で戦ってきましたが、そんな中でお客様や同僚とお話しできること。それは他愛のないことでも良くて、むしろくだらない会話がとても救われました。 シビアな場面やクレーム・イレギュラーの際には、それが頭から離れないほど追いつめられたりもしました。 携帯への電話が恐怖に思えるときもありました。 恨みに近い感情を人に抱くときもありました。 営業としての「攻め」の立場と、内勤の方々の「守り」の考え方から不要な衝突をしたりもしました。 それらを全て乗り越えて、最終的には皆と笑ってお別れできる、それらを全部ひっくるめて、良い思い出だったと自信を持って言えます。 <家族へ> 家で仕事することがほとんどでしたが、それにも関わらず仕事に集中できる環境を整えてくれました。そして、感情の浮沈の激しい時期でも、正面から向き合ってくれましたね。2歳半の娘に至っては、会社の携帯が鳴ると一目散に別の部屋に移動してくれました。そんな環境を作ってくれる姿勢には、いつも感謝していました。改めてありがとう! <次のステージへ> 2.1からは、大阪にある会社で営業としてお世話になります。 今までとは違う分野になりますが、今まで関わってくださった方々とどこかで再会したときには、艶やかで充実した自分を見せられるように、楽しんでいきたいと思います。自分自身としても、次はどんな自分に出会えるかが楽しみなところです。 相変わらず…同僚からは「えっ?」と思うようなプレゼントもありましたが。最後まで「普通」に振る舞ってくれてありがとう。 忙しい合間を縫って、私のために送別会をしてくださったり、メールや電話をくださったお客様もありがとうございました。その気持ちが嬉しかったです。 本当にありがとうございました。 Columnist さぁ主張を始めよう。 Columnist さぁ主張を始めよう。
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