シルタス!

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書評…すらすら読める風姿花伝…意外なほど合理的な世阿弥の思想

----------------------------- 風姿花伝第一 年来稽古条々 風姿花伝第二 物学条々 風姿花伝第三 問答条々 第五 奥儀伝 花伝第六 花修云 花伝第七 別紙口伝 ----------------------------- またまた友人に借りた本。これはマニアックでした… 「風姿花伝」は、1443年頃に81歳で没したといわれる室町時代の天才的演能者、劇作家、連歌師として一世を風靡した世阿弥が、苦悩の末に到達した境地を解き明かした、芸術論であり人生論です。 「風姿花伝」なんて、一子相伝の秘伝の書というイメージが強かったのですが、読みやすくまとめてあります。(僕は古文が好きでしたし…) しかし、、この時代にこんな合理的精神の持ち主がいたのかと驚かされました。芸事だけじゃなくて、現代に置き換えての仕事とか人間の成長についてもあてはまる内容です。 「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」 これは世阿弥の書き残した『風姿花伝』の中の、有名な一節です。 すべてを見せずに、少しのことを象徴的に表現することによって、観客の想像をかきたて、表現に膨らみを持たせようとする一種の術です。 茶の湯ので有名な千利休が、庭中に丹精込めて作った「朝顔」をすべて引き抜いて、ただその一輪を奥の座敷に添えて、その朝顔を見に来た秀吉を唖然とさせたのもこの秘の術を用いたのです。したがって、お茶の精神や秘訣もまた、「秘する」ということにありそうですね。 残念ながら、今となっては世阿弥の演技を鑑賞することはできませんが、演出家、能作者としても間違いなく一流だったのでしょう。世阿弥がこれを書いたのは抽象的な演劇論、芸術論などを書きたいからではなく、やむにやまれぬ心情からであったことがひしひしと伝わってきます。生き残って行くための方法論と自分自身の心の軌跡を記録しておきたいという、そのことだけで貫かれています。 「花」という言葉を、世阿弥は様々な意味で使っています。 人が舞台で発見する「珍しさ」、この感動が花であり「面白さ」である。つまり、「花」と「珍しさ」と「面白さ」、この三つは全く同じものであると言っているのですね。 内容は意外なほどに合理的な部分が多くて、驚きましたね。ビジネスにも応用できる本質的な考え方が一杯。恐らく自分では買わなかったであろう本なので、友人に感謝です。