「勘違い」って幸せなのかもしれない。
ふと感じたこと。
例えば、「勘違い」をしていたとしても、正確な事実を知らずにそのまま生きていけるのであれば、それは幸せなんじゃないだろうかということ。
勘違いの種類は色々とあります。
事実の勘違い(誤認)、間違った概念を持ち続けているという勘違い、自分はこういうもんだ!と思い込んでいる勘違いなどなど。少しずつ意味合いは違いますが。
勘違いは、正確な事実を知ってこそ初めて「勘違いだ」と気づけるわけで、それを知らないまま生きるのであれば、その人にとってそれは「勘違い」ではなく、「事実」なんですね。それによって、不利益を被ることはあるかもしれませんがね。
そして時には、その「勘違い」の方が多数派(社会)を動かす事もありえますからね。
まぁぁぁ、稀ですが。