シルタス!

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書評…異端者の快楽…衝動に従って生きること

--------------- 主要な目次 「異端者の祈り」などのエッセイ、さだまさし中上健次熊谷正寿石原慎太郎との対談、「圧倒的努力は岩をも通す」などの講演発言記録を含む全304頁、ボリューム満点の46判上製本。 --------------- またまた見城徹氏の強烈な一冊にぶち当たりました。 自伝的対談集「異端者の快楽」です。 幻冬舎設立からわずか数十年でミリオンセラーを連発し続けてきた見城氏の仕事ぶりには、器用にこなそうとするコツなどはありません。あるのは角川書店在籍時から培われた見識眼、というよりとんでもなく強靱な勝負勘と、ひとつの仕事に捧げる全身全霊を込めた圧倒的努力。相手がミュージシャンならその曲を徹底的に浴び、相手の分身のように当人を知り尽くし、相手に「書いてやるよ」でなく「書かせてください」と言い切らせるまでに持って行く。 見城氏の、その岩をも砕く強烈なパワーはどこからわき出てくるのか。 そこに秘められているのは、青年期から積み重なった、決して共同体に埋もれようとしない、異端者としての誇り。単体だからこそ、圧倒的なカリスマを目の前にしても一切物怖じせず、面と向かって裸のつきあいに興じることができる。見城氏の生き方は、あるいは他人がまねしてはいけない生き方なのかもしれない。見城氏が角川書店を出て幻冬舎を創設したのは42歳。 異端である。しかし自分の中で振り切れていると実感できない劣等感が常にある。 だからこそ、見城さんの本では功績が繰り返して語られるのだと思う。 「異端であるけど、これだけの結果を出してきた。平々凡々とした人間とは違うのだ!」という主張を込めながら。小学生、中学生の時に”異端”としていじめられたという経験もあって、「みんなより優秀だという意味での異端」だと主張しなければならないと感じているのかもしれない。 一番心に刺さったセリフ。  “朝に人を殺しても、昼には溺れている子を助けるというのが人間” 表現的には恐ろしいものですが、要するに人間とはそれだけ触れ幅があって、多面性があるものだということです。最近は自己啓発が盛んになり、「自分を保つ事」「節制する事」が注目されがちですが、本来人間は衝動に従って生きるものだという事だと解釈しました。そして、その触れ幅が人間としての「隙(すき)」となって人が魅力を感じるのだと思います。 完璧に見えて隙の無い人って、どこか近寄りにくいですもんね。抜けてる人ほど可愛がられやすかったり。。 自分ももっともっと衝動を大事にしようと思いましたね。うん。