シルタス!

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2011.12.6~ 「 “いい人” を演じること」を辞めます。

最近周りに頻発している問題を見て、3週間ぐらいかけて自分を省みてみました。 そして何の脈略も無い宣言ですが、、、 「 “いい人” を演じること」を辞めようと思います。 お恥ずかしいですが、自分の周りに山積する問題を見ながら、当事者としてはもちろん必死、でも客観的にそれらを見てみると、自分の理想と現実にもの凄いギャップがあることに気づいてきました。で、いざとなったら今までの経緯をひっくり返されたり、「認識違い」という名のウソをつかれたり… それぞれの利益を求めるビジネスの厳しい世界では往々にしてある事ですし、今までもたくさん経験してきたことだったのですが、いつも以上にその苦しみが重く、重くのしかかってきました。。なぜこんなに自分は苦しいのだろう?というシンプルな疑問から。 でも、それを招いてきたのも結局は自分の言動。人のせいに出来るものではありません。 かくして、自分を省みるに至ったという経緯です^^ そして色々と振り返っている中で、まずは「自分ってどんな人?」と分解していくと、三つのキャラクターがあることが分ってきました。 <1> プライベート <2> 仕事 <3> スポーツ それぞれにキャラクターがあって、振る舞い方や声のトーンなど色んな部分が違うのですが、僕が一人の僕である事には変わりありません。では、どれが本当に自分なんだろう…… そして、なぜ他の自分は「演じてる」のだろう……それについて深く、深く考えてみました。それぞれの特徴を簡単に書いてみます。 <1> プライベート  穏やかでおとなしい。声のトーンが低く、声量はない。意見は求められれば言う。 <2> 仕事  明るいが落ち着いている。声のトーンは高くて、声量は普通。めったに意見は言わない。 <3> スポーツ  明るくて活発。声のトーンは低いが、声量がある。自分からどんどん発言・発信する。 結論から先に書くと <3>スポーツ してる時の自分が本当の自分だと気づいたわけです。 なぜかと言うと、一番自然体で振る舞っているからです。自然体とは、「それについて意識をしていない状態」だと思いますが、まさにそう。心の奥底から沸き上がってくる感情に従って行動する。故に、うまくいった時の喜びは大きいですし、反省するとしても「前向きな反省」が多くなります。 では、<1>プライベート <2>仕事 の自分はなぜ演じてしまっているのか? これについては、自分の中の「べき論」が影響したのではないかと思います。「~であるべき」「~するべき」の「べき」です。プライベートでは、温厚で落ち着いた父親・人間である「べき」、仕事では誰にでも合わせる事が出来る人である「べき」。そうイメージすればするほど、どんどん自分が失われていったのではないかと。 そして本来の自分とは違う自分を演じる事によって、その自分に合った人や物事を引き寄せます。 普段は良いのですが、何かの物事にぶつかった際、必要以上に考える必要があったり、必要以上に落ち込んだり… 何か大きな事を達成しても、想像してたほど満足感がなかったり、反省するときは「なんであんな事したんだろう…」のような過去を振り返る後ろ向きなものが多くなります。 仕事では、今年度はお陰さまで自己最高の成績を大きく更新する成績をだすことが出来ましたが、それに付随して大きなトラブルや交渉事にも出会うようになりました。 (トラブル自体は、ビジネスにはつきモノですので、しょうがないと思っています。) その過程で、大きな大きな苦しみを味わうようになったのです。 なぜなら、普段の自分とは違う(自然体ではない)ので、いちいち どうある「べき」かを考える必要があるんですね。これでは自分自身も、関わってくださってる人もお互い満足できません。本当に申し訳ないことをしてきました。 (*注 今まで関わってくださったり、出会った方々は自分にとって本当に貴重な存在ですし、財産です。今後のあり方について考えてるだけですので、あしからず。。) まぁ、自業自得ですわね(汗) 一見すると、“いい人” は得するように思えますが、実はそうではないんですね。 仕事で言うと、「その人に言っておけば安心!」というよりも、「あの人に言っといたら何とかするんじゃない?」というニュアンスが強くなります。例えばで、 <Aさん>  トラブルを引き継いだら、自分の中で調整して何となく解決する <Bさん>  トラブルを引き継ごうとしたけど、担当者や担当部署に責任も持ってやってもらうように突き返す Aさんはいわゆる“いい人”です。社内で人気投票でもすれば、“いい人”として上位に食い込むでしょう。でも、「なんとなく」という言葉にあるように、根本的解決をしてないので毎回同じ問題にぶつかり続けます。 これって「人気がある」というよりも、「都合の良い人」なだけですよね。 逆にBさんは「厳しい人」として、同僚や関係者からはもしかすると一定の距離を保たれるかもしれません。しかし、言うべき時にきっちり言うことで、その時点で根本的解決につながる可能性が高くなり、結果的に次回からはとてもスムーズになります。 一時的な痛みを伴ったとしても、実は多くの人が得をするのは一体どちらでしょうか? そして、少し広い話にはなりますが、今の世の中を見渡してみると、みんなに好かれる“いい人”である必要はないんですよね。 例えば、このブログを書いてるアメブロ。コンテンツもしっかりしててとても人気ですが、その反面メンテナンスが多くて書きたいときに書けなかったり、エラーが多かったりという意見もあります。 Twitterにしても、情報収集には手放せない存在だと言う人もいれば、デマが多く信用できないメディアだと言う人もいます。 Facebookにしてもライフログや友人との再会、人脈作りに手放せないものだと言う人もいれば、実名で自分の事を公表するなんて気持ちが悪いと言う人もいます。 先日亡くなったスティーブ・ジョブズもそうで、偉大なイノベーターだと言う人もいれば、単なる独裁者だと言う人もいます。(確かに身近にいたとしたら、手放しで賞賛できない存在でしょう…) 日本の経営者や著名人にも、必ず一定数の「アンチ」は存在するものです。 いま話題の分りやすいモノや人を挙げましたが、これらに共通する事柄があります。 それは……… そう、、、「賛否両論」 であることです。 賛否両論とは…「嫌いな人は嫌いだけど、好きな人はすっっっごい好き」だという状態です。 情報が溢れて、個人がそれぞれの価値観を持つようになった現代では、「みんなが納得する」「みんなに好かれる」事は、逆に不可能だと思うんですね。 ブログだって、朝書きたい人もいれば、夜書きたい人もいて、それだけでも違います。でも、メンテナンスは必要だから、統計を取ってみて比較的利用者が少ない朝に実行する。そうすると、朝にブログを書きたい人は離れていきますが、夜に書きたい人は残ります。 こうして人やモノ選ばれていくのです。 選ばれているのですが、見方を変えれば、自分の考え方やあり方が人を選んでいるということでもあります。 しかし、現実的にはみんなに好かれようとする自分がいます。 人は誰しも人には嫌われたくないし、悪い評価をされたくはないものだと思います。 悪しき習慣である「みんなに好かれよう」とするあり方は、実は後々に周囲に迷惑をかけて嫌われるという本末転倒になる可能性が高く、今の僕はそういう段階にあると認識しています。 それであれば賛否両論であっても、演じず、自然体で自分の個性を発揮して、本当の自分に合った人や、環境、物事を引き寄せる。自分が選んだ、選んでくださった人のために120%尽くす。 それが出来れば、自分も自然体で集中して頑張れるし、結果を出せる確率も高くなる。結果を出せれば自分も周囲も満足。それが連鎖する。 自分の事ばっかり書いていると、自己中だと思われる方もいるかもしれませんが、自分らしくある方が結果を出せる自信も大きくなりますので、結果的にもっともっと人のお役に立てると思っています。 で、ここまで考えるに至ったのは、大事な大事な家族の存在があり、もっともっと楽しい充実した人生を送りたいという欲求にありました。 そしてここ数ヶ月は「出会い」と言うよりも、「再会」が相次ぎ、そんな彼らは一様に個性を発揮して、ある意味「はぐれ者」かのように生きてる人もいて、そんな人たちに触れたことで、今の自分を客観的に評価できるようになりました。 そんな機会をくれた家族や友人、知人に感謝です。 賛否両論と言っても、ムダに感じ悪く振る舞ったり、いきなり破天荒な人になったり、人と衝突するわけではありません、もちろん。あくまで、「本来の自分らしく」あること。 賛否両論であっていいし、みんなに好かれる必要は無い。 言葉で書くのは容易ですが、実際にそうしていくのはなかなか大変だと思います。 なぜなら、賛否両論になる事を嫌ってきた結果、今の自分があるのですから… でも、絶対にそうしていく事を決意しました。 自分の人生を自分でコントロールし、もっともっと満足度の高い人生を生きるため。 大きな大きな第一歩です。
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