シルタス!

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書評…まじめの罠…本書の目的は、本書を疑える人を増やすことかも。

----------------------------- はじめに 第1章 「まじめの罠」とは何か、そして、なぜ「まじめの罠」はあなたにとって危険なのか 第2章 あなたが「まじめの罠」にハマってしまうメカニズムを理解しよう 第3章 「まじめの罠」の害毒 第4章 「まじめの罠」に対する処方箋 おわりに ----------------------------- ご本人も書かれているように、この本は「まじめな人」に向けて書かれた人です。 最近よく議論されていることですが、日本は「出る杭は打たれる」国です。有名人になれば、ファンが生まれると同時に、アンチも生まれます。 勝間氏も「カツマー」というブームを生み出し、「自己啓発の女王」といわれた後、「アンチカツマー」たちによって叩き落される。そんな自身のご経験が本書の根底に流れるテーマとなっています。 著名人を叩く人々を分析していくことで、日本で起きている多くの問題を説明できます。「まじめに仕事をしているわりには成果が出ていない人」が、成功者の足を引っ張ることで、日本全体のパフォーマンスを下げているのだとか。 こんな言葉だけをを見ると、「まじめ」で「常識的」な人はいささかムッとするかもしれませんが、本書を読んでいくと納得できる部分も多いと思います。 本書から引用メモ----------------------------- ■まじめな人 与えられた枠内で最大限の努力をしてしまう人、その枠自体が間違っているのではないかという発想のない人、そういうことに疑問を持つ人間は不真面目だとしか物事を捉えられない人 ■勝間和代を嫌う人たち 「まじめに仕事をしているわりには成果が出ていない人」 「勝間和代はまじめに見えない。自分たちのような努力もしていないように目に映る。それでも成果を出しているというのは、何かズルしてるに違いない」 ■日本独自の生態系 ①「お上」(政府や大企業)に責任転嫁する「国民」と、そのために「無謬」を求められる「お上」の相互依存関係 ②完璧主義-「無謬」だからこそ存在しない「PDCA」サイクル ③「PDCA」サイクルで結果を評価したがらないからこそ、「まじめ」というプロセス重視になる罠 ■3ヶ月で100点取る人と、2日で80点取る人 私なら、就職面接で両者が受けに来た場合には、間違いなく後者を評価します。しかし、日本では全体的に前者が評価されます。 100点を取るためだったら、いくらでも時間をかけていい、というのがまじめの原点ではないでしょうか。 ■まじめな人は完璧主義にこだわる そもそも「失敗する自分」というのが許せないので、「失敗はなかったことにしよう」という隠蔽体質を生むのです。また完璧を求めることで、人はある種の全能感を持つようになります。 ■減点法に支配される日本 日本は全体的にまじめで、先生も学校も塾も親も、とにかく「間違えないこと」を重視しています。間違えると減点されるという減点法に支配されています。しかし、減点すればするほど、リスクを取って加点を目指すより、減点をなくそうという方向に動きます。 ■「無駄な努力」が評価される日本 この「まじめの罠」にハマった人たちは、「熱心に頑張っている人」という事で評価されます。典型的なのは、長時間労働です。いくら結果を出していなくても、長時間労働をしているということで許されてしまうことが日本では往々にしてあるのです。 ■まじめな人はなぜまじめなのか? ①ランク主義に染まり、価値観、視野に「多様な視点」がない ②「決まり」を疑うような、問題設定能力がない ③ 自分自身を客観視できるようなメタ認知能力がない 「大局観の欠如」部分最適はとても得意だけれども、そもそも所与の条件が合っているのか、間違っているのか、その疑いを持たないということです。 ■まじめの罠の害毒のステップ ①どんなにまじめに努力しても、成果に結びつかない → 被害者意識の肥大化 ②常に被害者意識を持つため、まわりに攻撃的になる → 自分を正当化する習慣 ③自己欺瞞に陥り、自己を満たすために他者を差別するようになる ■自分がまじめに努力するよりは、自分の努力が報われる環境選びや環境作りに、より努力するべき。 ■「まじめの罠」が社会に与える害毒 ①間違った努力は評価されるが、根本的な問題はまったく解決しない → いつまでも問題は先送りされる ②「お上」は永遠に崇拝と批判の対象であり、持ち上げられ、叩き落とされる → リーダーシップが継続しない ③ 社会システム全体が自己修復力を毀損する ■「まじめ教」から抜け出した時に得られるご利益 ①労働時間が短くなる ②お金が儲かるようになる ③人を批判しなくなる ④人生に満足できるようになる ■ものごとを批判的に検討するのは善意の問題ではありません。 悪いヤツだと疑うのではなく、批判的に検討するということが、逆に真剣に話を聞いていることの証拠でもあり、ある種の礼儀だといっても差し支えありません。 ----------------------------- ちょっと小難しい言葉もあるので、え…?なに?と思ってしまう部分も多いかもしれません。私も何度か読み返しました。 勘違いしてしまうかもしれませんが、「まじめ」であることはとても良いことです。 しかしそれは、「前提条件(選んだ環境や手段など)が正しくて合理的な場合に限る」ということです。しかし日本社会では、非合理的で無根拠であっても、「続けてさえいれば…いつかは…」という「継続信仰」や、「苦労したものだけが…その後の成功を…」という「苦労信仰」があります。 私がいつも思うのは、大きな成果や成長を目指す以上は、結果的に苦労することは絶対にありますし、決めた手段や手法を継続することも必要です。でも「継続」や「苦労」といった言葉だけが先にくるのおかしいと思うんですよね。だって、何も目指すところがないのに、「とりあえず苦労しながら継続すれば成功できる」なんてウソですから。でも不思議とこの部分は疑われずに、毎日なんとなく合わせ残業してしまったりするんですね。 個人的には、特に減点法の部分が心に残りました。 スポーツなんかが特にわかりやすいですが、日本では「勝ちたい!」という言葉よりも「負けたくない!」という言葉のほうが多用されてるような気がします。「絶対に負けられない戦いがそこにはある」というのは、テレビ朝日のサッカー中継の代名詞みたいになってますよね。あれ、すごく不思議です。要するに、まずは「負けない」ことが前提になるわけです。それでは当然ながら戦術も「自分の長所を活かして勝つ」ことよりも、「相手の長所を消して負けない」ことが優先されます。日本選手が海外の選手に比べて創造性が欠けるというようなことが言われるのは、この指導(考え方)に原因があるように考えています。 全ての源は、「負けることによって、チームや自分が減点対象になるのが怖い」という考え方から。 せっかく努力するのであれば、成果に結びつくように努力したいものです。 恐らく誰しもがそう思ってるはずですが、この言葉を言うと、「いやいやチミ、現実はそう簡単じゃないんだよ」と言われそうです。でも、じゃあなぜ努力が成果に結びつかないのでしょうか?多くの場合は、選んだ環境や手段がそもそも間違ってる可能性があると思います。 例えばよくある事例ですが、実力や結果よりも「ゴマすり」が評価される組織があるとします。どれだけ正当な数字を挙げても、業務改善をしてもC評価。その一方で、日中は机に座ってるだけで何もしてないのに、会議や飲み会で上司や幹部に取り入っている人がS評価。誰しも納得できませんよね。こういった人事考課はしばしば会社員の不満対象になります。 しかし! 少し視点を変えれば、正しいかどうかは置いておくと、この「ゴマすり」な人の努力は報われてるわけです。この組織では「ゴマすり」の方が評価されるわけですから、出世や給料UPを目指すのであれば、結果を出すことに努力するよりも、ゴマをすった方が合理的なんですね。 ただ、それができない、やりたくない人もいます。 そういった場合には、そこで「いつかは報われる“はず”だ」と信じて愚直に頑張るよりも、結果が評価される組織に転職したほうが何倍も合理的で効率的。でも「まじめ」さに支配されて、根拠のない「継続信仰」「苦労信仰」を持っていると、転職という選択肢を選べなくなるというわけです。これでは、自分の人生の貴重な時間を無駄にしてしまいます。 「まじめ」さに関する、興味深い事実としては… Appleスティーブ・ジョブズFacebookマーク・ザッカーバーグ堀江貴文氏(ホリエモン)、孫正義氏、彼らに共通するのはどこかで学校を中退していることです。 「中退」という事実は、日本では不真面目の象徴のようなものですね。しかし彼らは、その時々の状況を合理的に考えて、卒業することよりもすぐに働いたり、起業することを選んだんですね。「まじめ」に囚われていたら絶対にできない判断でしょう。 さて、色々と書いた後に元も子もない事ですが… 本書を読んで「うんうん」「なるほど」と思って愚直に実行することもまた「まじめ」です。「まじめの罠」というまじめの危険さを訴えたテーマの本で、更にまじめな人を製造してしまうという本末転倒な事態が生まれます。。。 それはやばい。。。 まずは、「勝間氏はどのような背景からこのような考え方を訴えているのか?」を紐解いて、「まじめって本当に危険なのか?」を自分なりに考えることが必要だと思います。その上で、納得して合致する部分は実行、納得できない部分は自分のオリジナルを考えるとか、他の手法を見つけることが必要です。 そういう人が増えることが、本書を書かれた勝間氏にとってもうれしい事なんじゃないかなぁ。