書評…内側から見た富士通…「成果主義」という制度に適合するには自分が変わらなければ…
内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)/城 繁幸
¥1,000
Amazon.co.jp
---------------------
1 急降下した業績
2 社員はこうして「やる気」を失った
3 社内総無責任体制
4 「成果主義」と企業文化
5 人事部の暗部
6 日本型「成果主義」の確立へ
---------------------
これは衝撃的な本です。
元富士通の人事部門で勤めていた著者が、その評価制度などの内情を告発した、いわば暴露本。
この内容からして、富士通とモメなかったのか。
気になって調べてみると、週刊ダイヤモンドの2004年10月16日号に、『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』の著者である城繁幸氏のインタービュー記事が掲載されました。
─── 出版後、富士通サイドから抗議はあったか。
ない。富士通本社の人事部長は、「コイツを訴えてやる!」と息巻いていたそうだが、今のところ公式な抗議はなにもない。だが、非公式にはある。本社人事部のスタッフからは「いったい、なんだこれは!」という怒りの電話が自宅にかかってきた。
対照的に、私が勤務していた川崎工場の面々は、私の顔や本名を知っている人も知らない人も「よくぞ書いた」と激励してくれた。
─── 発売2ヶ月で、発行部数21万部。反響の大きさをどう受けとめているか。
正直言って、驚いている。最初は、富士通の成果主義をベンチマークの対象にしていた日立製作所や東芝などの同業他社ぐらいしか反応しないのではないか、と考えていた。ところが、富士通関係者や同業他社どころか、学生、経営学者、コンサルタント、主婦まで、じつに多くの人たちが出版社と私のホームページに感想を送ってくれた。
だそうです。。
大丈夫だったんでしょうか。
---------------------------------------------
■実施されないフィードバック
「肝心の課長は評価委員会に出られないので、あとから課長に確認したら、『オレも出られないから全然わからない。オレも納得できないんだ。今回はこらえてくれ』の一点張り。実際はほとんど顔も合わさない部長たちが、評価を一方的に決めているらしいが、そもそもその部長たちは、われわれ部員たちの担当業務をきちんと把握しているとは思えない」
■部下の多くが目標未達なのに、「A」評価(富士通のなかでは2番目に高い評価)をもらうマネジャーが続出。管理職の9割がAなのに、会社の業績は赤字だった。
■降格制度がなかったため、「お手軽な目標」をかかげ、全社あげての一大減点レースとなってしまった
■なんと人件費が2割もアップするという矛盾
つまり、最初から高い評価をもらえそうな社員は進んで裁量性を選択肢し、実際高い評価と高い賞与を得る。しかし、そうでない者、つまり自分は高い評価はもらえないと自覚している社員は、自主的に裁量制度をやめだしたのだ、そうして、評価を諦める代わりに、毎月の残業時間を半ばヤケクソになって延ばすことに専念し始めたのである。
■社員は「できる社員」ばかりという皮肉
つまり、これまで「年功序列制度」と「終身雇用制度」に守られてきた日本人は、本当の競争社会を心の底から嫌っているのだ。制度のいかんにかかわらず、人を公平に評価することができないのである。ともかく、人を評価することで波風が立つのを極端に嫌う。
■社内中が「ドングリの背比べ」
この目標の水準低下の実態は、こんな具合だった。
例えば、少しでもできる営業マンは、目標設定時に商談の隠し球を忍ばせておき、それを決して公表しない。そして、期の途中でそれをくり出しては、期末には楽々と目標を上回る成果を上げる。また、小利口なエンジニアは、納期もスペックも危なげない程度のものしかつくらない。こうして、危険な香りのする業務は、誰も目標としなくなったのである。
■「成果主義」が機能しなかった原因は、管理職の評価制度自体がブラックボックスとして、長く一般従業員の目から隔絶されていたことにもある。
■「中間管理職」の目標を、一通り見てつくづく思ったことがある。それは、彼らの大部分は「年功制度」の申し子だということだ。その多くは適当に目標をたて、疲れない程度にそれを果たすフリをしているにすぎない。
■各本部に割り振られた数字も、下にブレイクダウンされるにつれて違うベクトルに分散し始め、責任も曖昧になっていく。明確な数値目標から、とりとめのない抽象的な目標への大転換だ。加えて減点を恐れ、低いハードルにしか挑もうとしない従業員たちは、経営陣の予想に反した成果しか上げられない。
■素晴らしい能力を持つ新人がいたとしても、彼はコピー取り(に近いような雑務)からスタートしなければならない。これでは、高度な専門知識を持った若手も、結果として生殺し状態。「荷物運び」や「打ち込み」といった作業で、貴重な20代を浪費することになる。彼の専門知識がようやく生きる年代になった頃には、もはや賞味期限切れだろう。
■「成果主義」を導入したとき、なぜ、等級制度を廃止しなかったのだろうか?50代でピークに上がれるような出世システムは、どう考えても成果主義とは相容れない。
■人気就職企業ランキングアップ作戦。富士通は、2003年秋から、就職情報誌などのランキング作成メディアへ、大量の広告出稿を行った。メディア側は、これである程度の順位を確保してくれる。また調査会社から、いつどこで調査するのかという情報が提供されるから、順位を確実にするために、それに合わせて企業セミナーをローラー式に開催するのである。
例えば、帝京大学や東京経済大学など、本来富士通では採用対象にならない大学に対しても、このときは構わずにセミナーを開催した。「成果主義は素晴らしい」と、実態を知らない学生にPRした。はっきり言って、これで簡単に順位は上がる。
■人間はなぜ働くのかと聞かれれば、それは「未来」のためだろう。「未来」が約束されていないから、どんなシステムであろうと、人間は見切りをつける。この点を考えると、「年功制度」であろうと「成果主義」であろうと、結局は同じだ。だから、「どちらの方が優れているか」という議論は虚(むな)しい。
■アメリカ発「成果主義」が日本に問いかけるもの
最後に、1つの企業が「成果主義」で崩壊するか、それとも成功するかは、人間にある。制度をつくるのは人間であり、それを運用するのも人間だからだ。
■次のテーマは役員報酬
---------------------------------------------
「成果主義」というととても魅力的な響きです。
しかし、、、所詮は
その制度を作ったのも「人」
その制度を運用するのも「人」
それによって評価されるのも「人」
それは決して変わることのない普遍的なものです。
だからこそ、制度そのものは劇薬でも特効薬でもなく、それが変わればすべてが変わるようなものではありません。この本を読めば、それはよく分かります。
(狭い範囲で恐縮ですが…事実私は、「成果主義」を導入しているところで、うまく運用できている会社を知りません…)
現状に不満を持っていて、「自分は働きぶりほど評価されていない」と言う人ほど、制度に頼ってしまい、それが変われば全てが変わるかのように思ってしまいがちです。だからこそ、現状の評価が変わらなかったときの、落胆と反発も大きい。私も、そういう愚痴は今まで死ぬほど聞きました。
上司もそうです。「上司と合わない」のはよくあることですが、じゃあ他の人に変わればうまくいくのか?それは大きな間違いで、結局は自分が変わるしかありません。
成果主義を導入する時に、何が問題になるのか?
制度の穴ももちろんそうでしょう。
でも、実は私たちの「心の内」にあると思います。
成果主義とは「成果をだした(利益を稼いだ)人」が優先的に評価される仕組みです。年功序列型で、年齢や社歴によって評価されていた仕組みに比べると、そもそもが「不公平」なわけですね。しかし、評価される側は「公平」を求めている。評価する側もできるだけ「公平」に評価しようとする。これでは本末転倒ではないでしょうか。
だからこそ、成果主義には「降格」「減給」が必須だと思うんです。
なぜなら、そうでなければその時々でしっかりと実績を出した人に報いることはできないからです。
「役職者」だから、「前年度一位」だからといって、今季も同様の成果を出せるとは限りません。一度上がってしまった評価を落とせる仕組みがなければ、成果が出せなくてもその立場を維持できてしまいます。これでは年功序列となんら変わらず、むしろ昇進・昇給しやすくなったという点では、年功序列よりも都合が良いかもしれません。
それにより必要になるのは、評価される側の「覚悟」と、評価する側の「毅然とした姿勢」。
ここがお互いになぁなぁになると、言いにくい評価はできず、フィードバックしにくい評価は伝えず、いつのまにか「僕は頑張った」「私は忙しかった」などといった目に見えず比べにくい事を掲げ、いつの間にか都合のよい「プロセス評価」が出来てしまいます。要するに、「実績を出せた時は成果主義!」「実績を出せなかった時はプロセス評価!」という都合の良いものです。
結果がどうあれ評価される仕組みがセーフティネットとしてある以上は、もはや誰も必死に頑張らないでしょう。じゃあ、何のために「結果(利益)」はあるのでしょうか。
この問題をクリアできなければ、成果主義なんて取り組むのは時間の無駄で、むしろ社員のモチベーションを下げてしまうことから、デメリットが大きい。今のところ、日本社会には「年功序列」があってるような気がします。ある意味「公平」で「分かりやすい」ですから。
正解は無いのですが、今後の社会のあり方、自分自身の考え方とあり方について、深く考えさせられました。