人によって定義の違う言葉について、途中段階で議論するという事
Twitterでつぶやいたら、反響がありましたので、掘り下げて書いてみたいと思います。
上記のように、人によって定義の違う言葉は多いです。
そして、こういった言葉の定義について、人と人がいがみ合ったり、火花を散らす事が意外にも多いように感じます。
私は基本的に、こういった言葉について、他人と議論するのは無意味だと思っています。
なぜなら、正解が無いからです。
正解が無いという事は、議論が「感情論」になりやすい、そう思っています。
そう書くと、一部の方からのMentionで、「議論はむだじゃない!」とのお言葉を頂きました。
はい、矛盾するようですが私もそう思います。
私は「定義の共有」を軽視しているわけではなく、むしろ重要視しています。
ただし、例えば新しいプロジェクトを何人かで進める場合、「最初の時点で」議論して欲しい、そう思います。
物事の途中段階で、正解の無い議論をするなど、本当に時間のムダですし、場合によっては後退する事があります。
途中段階においては、プロジェクトの進捗や前進するためだけに、全エネルギーを使いたい。
確かに、議論をすると「仕事をした感」はありますが、何も前に進んで無い事は多いはず。
民主党なんかは最たる例ですね。
綺麗事に酔って政権をとったものの、肝心の思想については何も共有されておらず、マニフェスト守れない。
彼らが共有できていたものは、「打倒!自民党!」だけだった、と言うことです。
日産のカルロス・ゴーン社長は、社長に着任されて、まずこう言ったそうです。
「まずは言葉の定義を明らかにしよう。」
やっぱり、最初にやるべきなんですね。。