世間が狭い(見てる範囲が狭い)のは、ある意味幸せなのかもしれない…
おもしろい記事がありました。
空気で議論するネットのひとたち
リンク:はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記(http://ow.ly/5X63l)
インターネットで、twitterなどのSNSや、2ちゃんねるなどの掲示板を見ていると、ある意味で感心する人たちがいます。
「自分の考え」や、「自分の見えてる世界」が全てかのように、自信満々に誰かの事を批判したり、有識者に食ってかかっている人たちです。
例えば、根拠とされているデータが間違っていたり、認識違いなどの指摘。
そして、その人の意見への反対意見(代案)を議論する行為であれば問題ありません。
しかし、「あなの考えは間違ってます。」などと言って、批判するだけして反対意見(代案)が無い。
感情論をつらつらと並べるだけ並べて、それが反対意見かのように振舞う。
当たり前ですが、現実論と感情論の議論では平行線です。
以前までは、そんな人たちを見てて、不快な気持ちになったものです。
でも、最近私はふと思いました。
ある意味、世間が狭い(見てる範囲が狭い)のは幸せな事なのかもしれないと。
なぜなら、それはそれで狭い世界の中で自分に自信を持てて、見える世界の中だけで幸せに生きれるからです。
特に向上を望まず、現状を維持して、制度や環境を憂う。
自分以外の誰か(何か)を批判する事で発散する。
批判対象が落ち着くと、また次の批判対象を探し出す。
それもまた一つの生き方です。
その生き方も、批判するものではありませんね。