「怒る」 必要はない
最近よく考えていたことが、(株)はてな 代表 近藤淳也氏のブログに書いてあった。
リンク:怒る必要などない
jkondoの日記(http://goo.gl/8wWC1)
人に怒る必要など無い。全く同感である。
よく、「指導」「育成」の大義のもと、部下や後輩を叱る人がいる。
一見すると、「後輩思い」の、「厳しい先輩」だ。
だが、もはやそのような時代ではないと私は思う。
その理由は3つある。
<1> 一人一人に「考える力」が求められる時代である
<2> 「事実を伝えるだけ」でいいはずである
<3> 当事者以外の人や環境へのダメージが大きい
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<1> 一人一人に「考える力」が求められる時代である
今の時代は「年長者」、「経験者」、「役職者」などの優位性が薄れてきている。
つまり、そういったポジションにいる人たちが「無条件に優れている」と思われる時代は終わった。
「先生」であってもミスはするし、「役職者」であっても判断を間違い、「経験者」であっても知識が乏しい。
そんな事を各人が知っている。役職は役割であって、人間の価値ではない。
つまりは、学生、新卒、新入社員でも、自分で情報を得て、自分で判断をしていく。
常に同じ土俵でみんなが勝負すると言うことだ。
いわゆる「上(うえ)の人」たちは、無条件の権力を盾にして力を持っていたが、今やそうではない。
組織上は階層になっていても、実質フラットなのだ。
人間性と実力が無ければ、上司であっても尊敬されない今の時代、権力を振りかざして、「怒る」事はもはや通用しない。それで部下は動かない。
逆に言うと、「下(した)の人」にも大きな責任があるという事だが…
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<2> 「事実を伝えるだけ」でいいはずである
シンプルに考えると、「指導」「育成」をするとしても、その過程では基本的に「事実を伝えるだけ」でいいはずである。
なぜ、語気を荒げる必要があるのだろうか。
私が思うに、怒る人は「自分に自信が無い」事と、「力関係を示したいだけ」のように思う。
潜在的に、本人と周囲に対して上下関係をハッキリさせたいだけなのだ。
ある種、動物の本能だろう。
繰り返しになるが、語気を荒げて伝える必要は無い。
もちろん、なあなあになっては困るし、事実も伝わらなくなるので、その注意は必要だろう。
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<3> 当事者以外の人や環境へのダメージが大きい
怒る事で「スカッとしている人」もいる。
恐らく、「部下(後輩)思いな自分」「指導が出来る自分」に酔っているのだろう。
しかし、意外に重要な事。
他の人や環境に与えるダメージはとても大きいのだ。
怒声を聞いているのは、控えめに言っても気持ちの良いものではない。
気分は悪くなるし、士気は下がる。
怒っている内容が理不尽なものの場合は、関係ないのに怒りを覚える人もいるだろう。
そういった事から考えても、怒る必要は無い。
いかにして伝えるか、どうしたら一番伝わるかを考える場合、こういった事から「怒る」事を選ぶメリットは基本的に無いように思う。
フラットな関係を築きながら、事実を正確に伝えること。
これが今の時代に合った、同僚、上司、部下との付き合い方ではないだろうか。