シルタス!

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ありのままの自分で生きる事はリスクが高い … それでも

最近よく思う事。 ありのままの自分 = 素の自分 で生きる事はリスクが高いという事。 特に仕事においては。。 誰でも「ON(オン)」と「OFF(オフ)」がある。 家にいる時は、OFFになっている人が多いと思う。 家の自分(OFF)と、仕事の自分(ON)を比較して想像して欲しい。  しっかりとハキハキ喋れているだろうか?  服装はきちんとしているだろうか?  人に対する配慮ができているだろうか?  何でもテキパキと行動できているだろうか? 恐らく一致する人は少ないのではないだろうか。 OFFの自分は自分の本質である。 言い換えると、自分が本来持っている性格、性質である。 という事は、ONの時は「演じている」事になる。 このONとOFFのギャップがストレス社会と言われる原因だろう。 会社や、社会といった集団で生きる以上は、自分のエゴばかり通せない。 人への配慮、時には自分を殺して相手を立てる事も必要だ。 私は、人から 「~な時、どのように考えていますか?」  と質問されたとき、 「自分が楽しめる方から逆算して考えます。」 と答えている。 そうすると、みんな「ギョッ!」となる。 これは、「純日本的」に言うと「自己チュー」である。 日本社会では、「協調」こそ最大の美学とされる風潮があるからだ。 しかし、 「自分が楽しめる方法から逆算して考える」 事と、 「人に何ら配慮しない」 事は、断じて同義ではない。 しかしこの二つの言葉は、短絡的にイコールで結ばれる。 前述の、相手の「ギョッ!」としたリアクション、そして、「そ、それは…」といったその後の話(反応)を聞くといつもそう思う。 確かに、「ありのままの自分」で生きるのは、「人のエゴとぶつかる」リスクがある。 一般的な日本人は「議論」が苦手で、「阿吽の呼吸」や「空気を読む」といった言葉が象徴するように、「感じる事(言葉は要らない)」が何より重要視される。 また、議論して反対意見でも出せば、その人の「人間性まで否定」した事に受け取られてしまう場合が多い。 しかし、自分のエゴと相手のエゴがぶつかったときは、議論して、「丁度良い」ところを見出せばよいだけの話だ。 よくよく考えると当たり前の話だ。 自分が反対、賛成しているのは、その人の「意見」であって、「その人そのもの」ではないからだ。 私ももっと若い時はそれが分からず、いちいち人に不満を抱いたり、自分で出来るはずのない事まで考えたり、やろうとしたり。。。 色んな失敗をした。 しかし、そんな自分とも向き合ってきて、現在はすごく良い状態にある。 自分が自分らしくいるためにはこういったリスクがある。 でも、私はこれを「リスク」とは思っておらず、当たり前の事だと思っている。 これからもその姿勢に変わりはない。