シルタス!

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「集まる事」 が目的になってないか?

人は何らかのコミュニティを形成して、大抵はその中で生きている。 家族、同級生、ご近所、会社、部署 ……など。 でもそれとは別に、“ある目的”によって一時的に形成されるコミュニティもある。 デモ行進をするような集団などは、その最たる例。 待遇改善を求めて力を結集するために、一時的にコミュニティを形成する。 もっとミクロな視点で考えると、個人レベルでもそのような事はある。 何らかの共通の不満を抱えていたり、共通の人を敵対視していたり。 悲しいかな、ネガティブな目的は、一瞬で人を集め、そして強烈なエネルギーを生み、その力は膨大である。 夢や目標に向かって継続的に集まるようなコミュニティは、私の経験上、稀である。 そして、ネガティブな目的で集まったコミュニティは、時間がたてばあっという間に解散する。 そして、別のテーマが出来た時、多少メンバーを変えて、また形成される。 その繰り返し。 中には、そういったネガティブな要素(話題)ばかりを求めている人もいるように思う。 人や物事の批評は燃える。 自分の思想が強固で正しいもののように思える。 集まった人たちは、自分の批評に賛同してくれ、自分もまたそのように振る舞い、「仲間」である事を感じる。 想像性豊かな人は、社会や会社を変えられるようにまで思うかもしれない。 しかし、ある時期を境にその「仲間」は解散する。 瞬発力に対して継続性はないのだ。 このような事を分析してみると、そういったコミュニティは、「集まる事が目的」になっているように思う。 言い換えると、「仲間である」事を感じて、「孤独ではない」事を確認する。 ただそれだけ。。。。 逆に、一見ポジティブに見えるコミュニティ、例えば「自己啓発集団」。 こういった集まりからは、成功者が現れにくい事を考えてみても、同じく「集まる事」が目的になっているように思う。 集まる事が目的になっているとすれば、誰かが成功しそうになると、お決まりの綺麗事を並べて、途端に足を引っ張り出すだろう。 本当に強固な信念や目的があれば、スタートがどういった感情であれ、それを達成するまでそのコミュニティは存在するはずである。 孤独を癒すために群れているのだあれば、それは非常に悲しい事。 でも、多くの人がそうなっているようにも思う。 私も含めて、孤独は感じたくないものである。 出来れば、夢、目標に向かえる「仲間」を作って、本当に推進力のあるコミュニティをつくりたいものである。 今日、ふと感じたので記しておく。
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