シルタス!

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リテラシーとは、事実を正確に理解するという事

最近、メディア(特にインターネット)の世界によく登場する言葉がある。 「リテラシー」だ。 Wikipediaより引用すると。。  「言語により読み書きできる能力」を指す言葉で、元来「識字」と日本語訳されてきた言葉である。近年、情報化社会の進展からコンピュータの利用技術を持つか否かによって個人の可能性が大きく左右することから暗に「情報リテラシー」を示すことが多い。また、原義にはないものの「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」一般をリテラシーと称する場合もある。(例:「会計リテラシー」など) それぞれの言葉の概論に関しては関連項目を参照されたい。 更に、この言葉は、メディアリテラシー情報リテラシー、ネットリテラシーと様々な場面に引用されている。 なるほど。 この言葉を自分なりに解釈すると、 「裏づけを取り、事実を正確に理解する(もしくはしている)事」なのだと思う。 ネットの世界でよく目にする事は、根も葉もない話や憶測内容が書かれた物を、大手メディアや有名人などの影響力のある人に取り上げられて、一気に広まってしまう事だ。 この時に、リテラシーという言葉は登場する。 要するにリテラシーの低い人は、ネットやTVで目にした根も葉もない話の裏づけを取らず、無条件で「事実」として受け取って「理解」してしまう。 今更言うまでもないが、TVなどのメディアは真実ばかりを取り上げている訳ではない。 視聴率を稼げる内容、スポンサーに利益をもたらす内容に編集されているのだから当然だ。 リテラシーの高い人は、物事に関することであれば、その物事の背景なども含めて更に詳しく調べ、より正確に事実を理解する。 人に関することであれば、その人の事を更に調べ、著書を読んで思想を理解する。 そうする事によって、例えTVにおいてその人について「悪意のある編集」が行われていたとしたら、異変に気づくはずだ。TVなどではよくある事だが、前後の内容は省略されて、過激な言葉だけが映し出される。前後の内容も知っていれば正当な内容も、一部を切り取られると一気に「異端児」になってしまう。 一昔前であれば、中田英寿さん(http://nakata.net/jp/index.htm)などはその事象に苦しんだ代表例だろう。 しっかりとした裏づけを持っていれば、そういった編集を目にしても、「この人がこの内容に対して、こういった発言をするはずがない。」と異変に気づく。 結果として、メディアに陽動されされずに、情報の精度が上がる。 それは、様々な分野での結果にも直結する。 今朝、めざましテレビ(http://www.fujitv.co.jp/meza/index.html)の中での、事業仕分けを伝えるシーンにおける勝間和代さん(http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/)の発言が、放送後のTwitterで話題になった。 「ロジックが見えないと気持ち悪いんですけど」 「ディステネーション?ディスティネーションですよね?」 といった発言だけが切り取られており、批判Tweetが殺到したわけだ。 しかし、Ustreamを見ていた人には、前後の内容やその状況からすればおかしな内容ではなかった。 ディステネーション?と聞き返した行為も、あたかも相手をバカにしたように編集されているが、単純に聞き取れなかったにすぎない。 こういった放送には、TV局の悪意を感じざるを得ない。 恐らくこういったケースで一番不思議な気持ちなのは、その被害者だろう。 自分にとって何のみに覚えの無い話(たまには身に覚えがあると思うが…)が、自分の知らないところで一気に広がって、中傷されている。 言うまでもなく、インターネットの威力はすさまじい。 しかもそれはTwitterの出現によって、更に加速してしまった。 情報が溢れているこの世の中で、リテラシーを上げて、自分のフィルターをもっていなければ、いつまでもメディアによる陽動作戦の中で生きることになる。 特に仕事においても重要な事は、簡単に理解した気になるのではなく、「裏づけを取る」行為をする事が、結果的に精度をあげるという事だ。